「首都圏住みたくない街」は、評判どおり面白かった。
足で稼いでいる迫力がある。
手短に何点か。
◆新宿はどうした
池袋はやり玉にあげているが、新宿周辺は、巧みに、としか言いようがない、避けている。
お義理で新大久保はのっけているが、幕下扱いだ。
新宿一帯は横綱ですよ、双葉山だよ。
何らか編集方針があるのでしょうね。
◆似非セレブの判断が甘い
「意識高すぎ」「甘すぎ」「似非セレブ」などの切り口で二子玉川、武蔵小杉、自由が丘、吉祥寺、などをやっつけるのは、良い。OK.
だが、この種で必ずあるのは、ライターの属性におそらくよるのだろうけれど、「セレブ」だの「意識高い」だのの判断が甘い。
たとえば自由が丘。
「小金持ちキラキラ女子に向けたスイーツ(笑)な店ばかり集結」「セレブ繁華街のステータスと化していて特有のキラキラ系人種がウザい」「芸能人も多く住む事で勝手にステータス意識をもつカッペ女からの支持を集める」など、悪意に満ち溢れたエネルギーを感じさせる啖呵の数々は、ぼくちゃん元気だね、と思う。ほほえましい。
ただ、あれだ、小金持ちとかセレブとかいう、そこの物差しは、どうか。
おれが自由が丘をカスと思うのは、ずばり「貧乏」だからです。「やすっちい」からです。
「貧乏くさい」ではない、「貧乏」そのもの。
女の虚栄心でとらえると判断が曇る。おとこ、女の区別はしない。
「貧乏人がねばる街」。この一語でおしまい、おれは。
書く奴の懐具合で、おなじ「カッペ女」をみて、これを「貧乏人」と見るか、「小金持ちキラキラ女子」と判定するかの違いが生ずるのは、やむをえない、筆者を責めるのは酷だ。
年収1500万で女房子供住宅ローンで自由が丘とか二子玉川で見え張る奴の懐具合は、おれに言わせりゃ貧乏そのものです。
自由が丘二子玉川は、いまや貧乏人が集まる場所です。
武蔵小杉は足踏み入れたことないから知らないが似たようなものだろう。
売れてるようだから改訂版がでるかもしれない。
そのときの参考にしてくれ。
以上、30分ですんだ。