啓発舎

マジすか? マジすよ

 

 

晩の外出はこたえる。

が、この日は、それなりの価値があった。

 

元気があってよろしい。というのが総評。

 

ピアノは、予想どおりあざとい。

裸足はだめでしょう。

弾いてる最中にわざわざ客席向いて例の顔芸してるよ。

アンコールの能書きが長い、しかも不要な私事、都響は何年ぶるだとかどうしたこうしたとか。聴き方を押し付けたり。どう聴こうがこっちの勝手だ。

 

このヒトはギミックで損している、と感じるのは、おれぐらいか、まわりのおやじは受けていた。

 

演奏は、100回弾いてる営業用、感満載。

指揮者はよく合わせていたが、ピアノが自己完結しているので、ピアノは毎回録音再生みたいに同じです、伴奏は、その録音にあわせます、という建付け。

どの楽団とやっても、おそらくこうなんだろう。

都響は、ヘタでした。

リハ不足でしょうね。

 

マーラーは、よかった。

このヒトは、意外に、といってはなんだが、弦の扱いがよい。

この曲の構造は単純で、どんちゃんさわぎと、静かな流れのいったりきたりに終始するだけなのだが、その静かになる際の弦のポリフォニーがやわらかく、よい処理をしている。複数個所で。

ラッパちゃんと吹けよ。冒頭からずっこけてどうする。

 

指揮者は、ときにがに股になりながら獅子奮迅。

ゆとり、とか間合いとかを求めるのはまだ、気の毒だ。

ピアノと違って、「どう、私って」感は、ない。

むしろこないだのウルバンスキに「おれ、ブラピはいってるだろ、すこし」の臭気を、おれは勝手に感じた。

事前に文書で終楽章の楽曲構造について、なんだか禍事が進行するみたいにわざわざ宣言しておいて、実際の演奏はなんか天真爛漫どんちゃんさわぎ、みたいでした、という肩透かしにあった、ということも、この感想には与って力あり。

靴の裏真っ赤っかは、悪目立ちするぞ。

そういう悪趣味は、N響でガシガシやってるコンマスにまかせておけよ。

 

ということで、結構楽しんだ一夜でした。

この指揮者は、何年か後、もう一回聴いてもよい。

 

 

 

◆乱れる

 精妙。

 女性映画、ではあるのだろうが、男女問わず感情の自然な起伏に寄りそう映像が心地よい。

 そのゆらぎを、味わう映画。

 

 確かに、女優は全員見事だ。隙がない。

 加山のばかっぷりが救い。

 

 次の駅で降りましょう、からの展開は、没入した。

 

 今年一番で間違いなし。

四半世紀つづいた先とどうするか。

二代目とは組まない、は、ほぼ決定。

 

新しい先と、が、肝心。

なるようになるか。

この年で新たな適応に。

 

ヒトヒト整理か、事業の整理か。

が、等価の選択になるほど、ヒトヒトを排除したいか。