啓発舎

マジすか? マジすよ

あっちから飛び込んできた。

3メートルぐらいか。

あわてて構えて押して押して写ったのはこの一枚だけ。

ピントがあってるのは奇跡だ。

 

 

若い女二人組、といっても、ここに来るはらからはじいいさんばあさんばかりなので、若いとおぼしい女二人組というとグラサン観光客の類ばかりだから、当方には、女の年恰好は、判断できない、という前提で、40よりは手前じゃなかろうか、という二人組が、

「あそこにビンズイがいますよ」「ビンズイビンズイ」などとちょっかいをだしてきた。

前方の地べたを指さして、きーきー言っている。

草原のビンズイは、草に隠れて写真としてはダメだ。

一応

「そうですか」

とかいって、スルー、文字どおり、通り抜けようとすると、

「他になにがいるんですか」

と前回のじじい同様、畳みかけてくる。

じじいは正しい日本語を解したが、この二人組はどうかわからない。

二言三言なんかいって、スルーしました。

 

 

これで決まった。

今後、およそヒトと思われる生き物から、なんか、働きかけられるか、その兆しを感じたら、速やかに移動する。

音声で対応しない。

 

小鳥には無論対応するが、いままでのところ、小鳥さんから音声でちょっかいだされた自覚は、ない。

「どうだい景気は」

とか、ジョビオあたりは言ってきそうな気もするのだが。

 

 

 

三日間降りこめられて、今朝、四日ぶりに北詰門方面。

体の内側から浄化されるかんじだ。

この静謐さは、昨日今日では、でない。

 

ジョビオをながめていたら、おやじが話しかけてきた。

年恰好、雰囲気から、割と小難しい稼業の定年退職おやじ風。

要はおれの相似形だ。

カメラぶらさげているが、景色専門、鳥は詳しくない、と簡潔にいう。

「なんですか、きれいですね」

というから

ジョウビタキです」

「オスですか」

「オスです、ジョビオといいましてね」

と私にしては珍しく受けごたえしてやった。

のっけていろいろ言ってきたから、

「では」とかいってその場を離れましたが、ね。

 

こうしてきちんとした日本語、この「きちんとした」というところが急所だ、きちんと半世紀生きてきたヒトの話し言葉、で、疎通を試みられるのは、別に、くるしゅうないぞ。

◆きのう、営業関連の打合せ2時間半。

◆で、さっき、一件段取り完了。

 

 この稼業もこの先いつまでか、とこの種のやりとりの都度浮かぶようになった。

 

 小鳥と過ごす時間とのあまりのギャップ。

 

いや、別に、いまさらヒトがどうのこうのいう気はない。

だが、時間が、流れるのと、詰まるのとではそりゃ違いますよ。

いま、一気に解放、というか、自分の時間の流れを取り戻したのであるが。

いや、解放、というのは強い言葉だが、いまのかんじに適合している、といってよいか。

まあ、解放されましたよ。

 

というぐらい、ヒトとやりとりすると、こうなる。

 

いや、いいんですよ。

これからもそれで別段構わない。

だって、最低限の身過ぎ世過ぎはあるんだから。

 

だが、日常が、あまりにも、当方を領する時空が、あまりにも、静謐なので、世間様対応との乖離がいや増す、これはしかたがない。

 

世間に咎はない。

 

 

かといって、日常をすこし濁らせるか、というのは本末転倒。

 

 

この後、ふつうだったらカバリエさまの時間なのだが、今日の夕刻は「何とか坂49」だのなんだの、に、するわけねえだろ。