この国を覆うゆるさ、とか弛緩、と、やむなくやりとりしている、私も。銭金で。
これはもう、いたしかたない。
ゼニカネ関連を縮小するしか対処の方法はない。
で、現にそうしていて、その過程でも、ゆるさにまつわるあれこれが出来する。
国が豊かになるためには、よそから富を確保するしかない。
そもそも豊か、というのは、相対的な概念だから、だれそれより、という前提が必ずつくから、この場合よその国より、ということで、それを実現するためには、相対的な優位を確保するためには、よそからもってくるしかない。
高度成長期から80年代にかけて、この国はそれをやってきた。
いま、それができるか。
無理だ。
ヒトがゆるいから。
その連中、おれなんかもその末席に連なる世代、が退場してえーと二世代ぐらい回転してるんじゃないの。
ダメが育てりゃダメの二乗ですよ。
ダメを眺める野次馬ライフも、悪くはないけどね。
ながめられるゆとり、この場合のゆとりは、気持ちではなく、ゼニカネです。
銭金の防波堤を築いて衰亡を見物する。
状況に自分を同化してしまうと、衰亡でなく、絶望、になってしまうので、あくまで、距離をおく、他人事にする、のが、見物する要諦、急所だ。