巣鴨1200メートル。
きのう書いた、「真実でありかつ現実である」というのは、たとえば道元さんをイメージしている。
道元を読んで励まされるのは、徹底的に形而上的思考を貫くことだ。
汝の隣人を愛せよ、とか、清く正しく、とか、世間様をもともと排除している。
自分の裡と世界との対峙。ここでいう世界は、たとえば、ええい、時空とでもいうべきもので、それもいずれは、自らの裡に包含されていく、そういうもの。
自分を貫くもの、これが真実。世界との対峙、これが現実。
真実であり、現実である、こと。
たとえば「美」という、ものでも概念でもいい、これが真実と現実をつなぐ架け橋、の一つ、ではないか、というのが、目下の当方の、勘。
しんしんと、夜降る雪のように自分が静まるとき、極く稀に、自分に風穴があく、ことがある。
さすがに、「水、水をみる」境地まではいかないが。
「存在が花している」かんじはかすかに漂う。
そして、その感覚に、どうも、「美」が介在しているような。
村上さん、この辺りは、いかがでしょうか。