啓発舎

マジすか? マジすよ

おととい梅雨明けかと思ったら、今日から梅雨入りだ。
せわしない。
きのうおとといのお天気は、歴史に残ると思う。肝は、朝晩のひいやりした空気だ。


きのうは、例によって、どうでもいい話で盛り上がった。
どうでもいいような話、ではない。
どうでもいい、ということについての話。

もう、世の中も自分もどうでもいいですよ、それにしても、どこまでどうでもいいか、という「どうでもいい」テーマにつき3時間半語り合ったのであった。

で、どうでもいいといえば道元さんとかそのあたりだが、待てよ、世界も自分もどうでもいいはずなのに、結構言い張るよな。
百巻ぐらいかけて。

坊主の説教というのは、あれは一体なんだ。
キャリアポルノとどう違うか。
まるで一緒だ。
権威を背負う分、「輝く貴女になれる本」よりたちが悪い、というべきだ。


これで、道元も「解決」してしまった。


どうでもいい、を命を懸けて追及し、100まで生きた親鸞は、どうか。
死んで極楽に行けるかなんて、そんなこと知りませんよ。
と、見事に居直った人生は、割と好きだ。
そんなややこしいこと考えないで、とりあえず念仏しなさい。


で、どうでもいい、ランキング。
親鸞は、割と上位にはいる。
あと、中川家のお兄ちゃんのほう、とか、大野、とか、そのあたりかな、今、思いつくのは。
外国には、見事にいない。
ユダヤキリスト教文化圏は、教義から皆無であることはわかりやすい。
アーメン文化から逃れようとしている奴も、別の「意味」を持ち込むからやっかいあだ。
人生なんて意味はない、まではいい線いってるのだが、だからアンガージュだかアンガールズだかどうしても付け足してしまう奴とかな。意味を排除しておきながら別の「意味」を引っ張って来ずにはいられないというサルトルにまで刷り込まれたアーメン文化の、ゴキブリのような強靭さ。
爆買い文化はどうか、という以前に爆買いの歴史を「文化」と呼べるか、英国女王におちょくられて5000年文化をもって対抗してみせた爆買い本人は「文化」を僭称しておるが。
ややこしい、それはひとまずおく。
爆買いは、無論実利、しかも「無理が通れば道理は引っ込む」という一事を5000年かけて追及した民族なので、その歴史には滑稽と悲惨しかない。
どうでもいい、の対極だ。
どうでもいい、というと、老荘とかすぐ思い浮かぶが、これは、あまりに「無理が通れば・・・」であることに嫌気がさした向きの妄想だ。
陶淵明とか、中国の脱俗ものは、全部そうだと思う。

イスラムは。
当方は、ここはには「どうでも」の鉱脈があるに違いない、とにらんでいる。
井筒さんが、生涯掘り続けた武田の隠し金山を、おいらが引き継ぐか。
ちょっと体力がなになので、とりあえず、これは若松さんに任せた。
ただ、若松さんご自身は、どうでもいい界の住人ではなさそうだが。





おそらく来週後半にまた会うので、続きをやると思う。