ぽっかり時間ができたので時事ネタ。ひっしぶり。
◆木島容疑者の話。実はこれは枕で、本題は次にあるのだが。
なにが言いたいかというと、全くこの件は、おいらにはわからん、ということ。
犯罪者を傍から見る興味は、畢竟、自分の中に、共通するものを確認する、普遍的な人間性を共有する興味、といっていいと思う。
だが、今回の、この人は、わしにはさっぱりわからん。共有するものが自分のなかに全然見いだせない。
その割に、巷の女どもは、ひーひー言ってこのネタで騒いでいる。
怪しからん、とか、なによあのひと、とか言っていても、要は、自分と一緒、ある部分がさらけ出されてしまって、それで狼狽し、否定に走り、少し客観性のある奴は、「自分の中の木島容疑者」みたいな一文をものする。
例によっておっとり刀で登場した、菊知容疑者に酷似する香山リカ氏は、後者の代表で、現代の女の孤独だの焦燥だのと結び付けてなにやら言っていた。
金が欲しくて練炭で殺す。
これはわかりやすい。そうですか、というかんじ。
だが、木島なんとかは、そこで動機をなにやら語り出す。
実は、純粋に不快である、という理由で、詳細チェックしていないのだが、セレブだか、性愛を突き詰めるだか、なんだかんだ言っているらしい。
「セレブ」などというわけのわからない概念(といってよいか)をにんじんにして、ひたすらそれに食いつこうとする、或いは、食い付いた、同化したという幻想の中に生きる、ヴァーチャルに、というようなことか。
セレブというのは、例えば叶姉妹のようなものか、イメージとして。
辟易。
何故、他に措定する。措定するイメージが陳腐であるか高邁であるかはこの際おく。
そういうものにパン食い競争みたいに飛びつくその労力の意味のなさ。
結構それ自体が、あがくこと自体が気持ち良かったりするのか。
それで、たとえば顔を切り刻んだりするのか。木島なんかは、外観から察するに切り刻みはやっていないようだが。自宅アパートを飾り立てたりするのか。
自分の内側に逼塞する安らぎ。
私なんか、もうそれしかありませんから、そういうおやじから見ると、なんだか、ごくろうさん、というかんじですね。
そっちはそっちでうまくやってください、というこの場合の「そっち」は、女全般という意味か。
女のこのあたりのパワーを集めるとすごいエネルギーだろうな、発電とかに平和利用できないか。
◆で、本題なんだが、枕を振りすぎて体力消耗しているが、本題は、オウムの高橋容疑者。
この人は、木島なんとかと違い、とことんわかる、とても他人とは思えない。
54才。よく17年隠れ続けた。
といってもずっと川崎とか横浜。で普通に仕事してたらしい。当局おばか、警察ゆるゆるの証左ともいえようか。
ともかく。
キャリーバッグには、いまもオウム他精神世界の本が十数冊、と。
書名だけでも報道してくれないか、特にオウム本以外にたいへん興味あります。
十数冊の本だけは肌身離さず逃亡を続ける、というのは、それは意味ありますよ。
この人は、だから、逃げながら自分の内側をそれなりに探究していたんですね、54歳。
オウムという組織自体は、実はあまり興味ない、なくなった。
こないだのNHKの特番は、上祐から、「ずいぶん早い時期から武装して国家に対峙する明確な方針があった、自分はサリン製造拠点である第6サティアンの初期の責任者だった」、という発言を引きだしただけでも天晴れであった。
結局、自分の境遇に大きなコンプレックスをかかえた誇大妄想の小心者のひずんだ自己実現、たまたま他人を操縦するカリスマがあったために、それがとんでもないことになった、というだけのこと。
宗教はそういうことの道具として使われやすい。
飛び道具を作ったらだれでも使いたくなる。
ブッシュだって言いがかりつけて中東で試したくなる。
で、今回の高橋なんとかだが。
まじめな人ですよね。真摯であったりもするんじゃないですか。
裡と、外さえきちんと峻別できれば、変な団体(これは、常に外)にひっかかんないですんだのかもしれないのだけれど。
刑務所で、裡と向き合って、普通に規則正しくやっていくことですね。
この年になると、そういうことが割合だいじ、ということがしみじみ体に沁みてくる、んだと思うんですよ。