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「会社だけ」の人生に別れ 早期退職で生き直し模索

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社会・くらし
2019/10/26 2:00
日本経済新聞 電子版
 
 
 
 
 

「大規模なリストラを近く発表する。早期退職を募りたい」。2018年秋、役員との定例会議の場で突然出た話題に、大手電機メーカーで管理職を務めていた松川奈津夫さん(仮名、58)は耳を疑った。「まさか自分にこんな日が来るとは思ってもいなかった」

 

部下からプレゼントされたタンブラーを手に持つ早期退職した男性

部下からプレゼントされたタンブラーを手に持つ早期退職した男性

 

まもなく届いた社内メールには、所属していた数千人規模の部門を解体し、45歳以上に早期退職を促す内容が記されていた。「役員の肩書で定年を迎えたい。せめて子会社の社長になれたら」。漠然と甘い見通しでいた自分を恥じると同時に、長く会社を支えてきた世代をあっさり切る会社の厳しさに驚かされた。

■割増退職金1億円=「ロートルは去れ」

1980年代初めに入社し、懸命に働いた。バブル直前で忙しく、土日も深夜も関係なかった。海外駐在員にも抜てきされ、出世街道を歩んできたつもりだった。「部署とタイミングが悪かった」というのが自分なりの"敗因"分析だ。

会社が45歳以上の社員に提示した割増金を含めた退職金は最大で約1億円と破格の金額だった。「年寄りは去れというメッセージだな」。額の大きさに、会社が組織の若返りを切望していると痛感した。

上司からは「君にはあと1年は給与とポストを保証するから、もう少し会社に残らないか」と耳打ちされたが、1年後の処遇は白紙で先の保証はない。給与が激減しても働き続けるのかと自問するうち、仕事への情熱は一気にしぼんだ。「65歳の定年後再雇用まで残っても活躍の場はない」と考え、1週間後に退職の申請書を提出した。

会社から「早期退職を認める」との通知が届いたのは約2カ月後。再就職先を探したが、介護などキャリアとは無縁の求人ばかり。唯一興味が湧いた会社の中途採用で初めて履歴書を書いたが、書類選考で落ちた。

3月末の勤務最終日。花束を贈られ、同僚の拍手の中で職場を去る姿を想像していたが、特段のねぎらいの言葉もなく後輩らは淡々と仕事を続けた。「明るく会社を去ろう」。社員証を返し、私物が入った荷物を抱えて会社を出ると、守衛から「長い間お疲れさまでした」と声を掛けられ、涙があふれそうになった。

■「人生の生き直し」実感

多額の割増金を蹴って会社に残った同僚は少なくない。「妻に家にいてほしくないと言われた」「辞めて何をしていいか分からない」。理由は似たり寄ったりだ。「生計のためではない。会社にしがみついていないとどう時間を過ごせば良いか分からないように見えた」と松川さんは話す。

退社から半年。専業主婦の妻は「一緒に過ごす時間が長くなった」と喜んでくれている。外国人の観光案内のアルバイトを始め、平日に妻と映画や日帰り旅行を楽しむ。外食を減らしタクシーに乗らず、家計簿をつけて無駄遣いをやめた。「人生を生き直している」と思えるようになった。

8月、松川さんは子会社社長に栄転した元同僚と居酒屋で再会した。かつて自分も目指した道に進んだ相手。だが会社のことばかり話す姿に、浮かびかけた羨望の気持ちは消えていった。「価値観は変わるものだな」

松川さんは今、不動産投資や起業の準備にも取り組んでいる。会社からの"手切れ金"はまだ懐にある。「失敗は怖いがリスクを取る人生も悪くない」。もっとも「老後資金2千万円」問題など、高齢者を取り巻く環境は先行き不透明だ。早期退職で得た時間をどう使うか。手探りが続く。

 日経記者殿

 「松川氏」が実在であるとしたら、3年後の後日譚がいただると幸甚です。

不動産投資、起業の首尾はどうだったでせうか。

手切れ金の手残りは。

 

定年後の階層分化、というよりほとんど没落であらうが、が、これからのこの国の浮沈、当然沈む一方、に大きな影響を及ぼすこと必定なり。

 

めでたし。