きのう、酔った勢いで文春、月刊のほう、を買ってしまったので、成り行きでブンガクの時間です。
芥川賞。
小説の類を買って読むのは、宇野鴻一郎先生の新刊以来だ。
さっきヴェローチェで二作とも全部読んだ。
両方女流。
ひとつは、インドの洪水でなにららあったこと、もうひとつは、73才の老女が東北弁自分語りをする、という内容。
結論。
両方おれにはピンとこない。作者のせいでなく私に感受するレセプターが、乏しいということだと思う。
こしらえは、かたやインドのどさくさ、かたや東北弁の自分さがし、という設定だが、おれには、両方、おなじ歌をうたっているように感じられた。
身内、血縁、配偶者との過去現在が底流する。それにインドの喧騒やら東北弁やらをまぶす、という構成。
フラッシュバックするだれそれの思い出は、女の人らしい細部の観察で、鈍感なおやじには、少しく違和感。
テーマだのなんだの以前に、女流の壁、というのがどうやら私にはあるようだ。
両方饒舌だがけたたましくはない、節度あり。さすがに、自分にうっとりでは小説にはならない。
選考委員の選評が面白かった。
いちばnしっくりくるのは島田雅彦。
インドの話は、地域研究の成果、ルポルタージュ、と指摘しているが全く同感。インド最新事情に自分のおいたちのあれこれを挟み込む、という体裁。
東北弁のほうは、インテリの思弁。
ブンガクというのは、畢竟、昼下がりのファミレス女二人組、身内だの誰それだのの人間関係のトリビアを、ひたすら言い合う、その採録である、ということか。
今回hあ二人ともおばさんだからそうなので、ガキが入賞したら、未熟者の自己憐憫か。
自分をつきはなす、抑制する、ギミックを排す、というあたりできちんと構成したものであれば読んでもいい。
あと、どろどろは勘弁だ、排泄行為に立ち会う趣味はない。
そういうじじいはおれだけではないと思う。
じじいマーケットはこれから拡大する。
そこに釣り糸を垂れない手はないと思うが。