◆現代の超克 中島岳志 若松英輔 著
久しぶりに凄い本にめぐりあった。四番町図書館。
若松さんという方は井筒俊彦さんの評論で存じ上げていたが、共著とはいえ、自らが語るお言葉に接するのははじめて。
今回も柳宗悦とかガンディーとかを媒介に、対談、あるいはかわるがわる書く、という形式だが、かなり自分語りをしている。
冒頭の柳宗悦のくだりが圧巻だ。
柳→親鸞→一編、と思考は進む。
若松氏の選んだ援軍は、いつもの井筒氏から始まり、吉本隆明さん、シュタイナー、ヴィトゲンシュタインなど、スーパースターがならぶ。
なんといっても吉本さんだ。
若松氏も吉本さんでは「最後の親鸞」だ、といい、柳はあらかじめ吉本の「最後の親鸞」を超克している、として柳に絞って論を進める。
柳さんの著作は読んでいないが、「最後の親鸞」は当方書棚の一軍ベンチにある、「最後の親鸞」と「西行」は、いまでも寝る前にたまに開く。
吉本さんは、理屈じゃなく、元気でるんですよ、文章を追っていくと。
自分で考える頭の働きが、気持いいんだよね。
親鸞がどんどんぶっ壊していく過程を追いかける吉本さんを追いかける私。
そうか、若松さんも、吉本興業のナンバーワンは親鸞だと。ご同慶である。光栄でもある。やっぱりそうか。
吉本さんだと「西行」もいいですよ、若松さん。あなた向きです。とっくに読んでるだろうけど。あと良寛がらみ。
テーマは、柳氏を借りて、絶対一者から美へするする進む。
まことに僭越ではあるが、この流れは当方の考え癖そのものなので、他人の本を読んでいるとはとても思えない。
で、その吉本さんをあらかじめ「超克」、という言葉はちょっと照れる、しているという柳宗悦のために、本は買わない主義をこの際まげることにしよう。
まずは、発見しました、という、うれしい報告です。
続きは、柳さんの著作を読んでから。