啓発舎

マジすか? マジすよ

曲名 悲愴
作曲者 チャイコフスキー
演奏者 東京芸大の寄せ集めオーケストラ
年代 1980年か81年か79年だったかもしれない
場所 芸大(文化祭 芸術祭といったか)

 夏風邪ピーク。一日雨だし。ついにバチがあたったか。なにか景気いいことないか、という訳で、この話。頭もーろーなので、最後まで行き着けるか、どうか。

 芸大の文化祭に行ったのだが、メンツは母親と姉だった。どうしてそういうメンバーで当時、わざわざ上野まで行ったのか、覚えていない。墓参りの帰りか。

 面白かった。暇な一日があったら、音楽大学の文化祭はお勧めです。
 催してんこ盛り。まだ、奏楽堂は、芸大の中にあったのではないかしら。
 現代音楽だの、歌だの冷やかした末、折角きたのだからでかいのを聴こうということで、スタジオのようなスペース(第6なんとか、とかいったと思う)で悲愴をやるというので、覗いてみた。
 もう既に始まっていて、2楽章の途中ぐらいではなかったかしら。
 客は、そのへんのあいたスペースにへばりついて観ているという感じ。立ち見。ざっくばっらんです。
 指揮者は学生だろう。
 演奏は一目みて、こいつら全然練習していないな、というのが丸見えだった。
 弦の連中など、指揮者なにするものぞ、パート譜と首っ引き、ほとんど初見じゃないか、状態。
 確かに、こういうイベントでは、学生さんも、分刻みでいろいろな出番があるだろうから、さらう時間もないし、せいぜい、全奏(全体練習のことです)1回、ゲネプロ1回ぐらいで本番を迎えたのだろう。

 しかしながら、そこはそれ、技術のある人々だから、なにやらバリバリ弾いているのよ。

 で、三楽章を迎えました。タランテラ。
 弦の細かいきざみと、早いテンポ、しかも楽器群毎のうけわたし、と、オーケストラのアンサンブルにとって、難曲中の難曲。
 これはいくらそれぞれの個人技が卓越していても、全体があわないとドシャメシャになる。<思わず余談>
 なぜか、アマチュアオケはこの曲をよくとりあげる。私も札幌にいたころやったことがある。散々でした。いくら知名度が高いといっても、アマチュアが手を出す曲ではないと思う、三楽章がある限り<余談終わり>。

 で、これが、壮絶だった。
 冒頭の弦のピアノ(音量です)のきざみから、いやな予感というか、なにかが起きるのではないかという期待というか、いやましてきた。
 楽器毎にずれる。なにやらもぞもぞ聞こえる。
 指揮者、構わず(内心は泣冷や汗かもしれないが)進む。
 この楽章、ピアノ(いくつか忘れた。この人PPPPPPとかいって、沢山つけるの得意ですから)から始まり次第にクレッシェンドする全体の流れ、弦のきざみと、金管の、喉もさけよという咆哮が交互に出てくる構成なのですが、この弦がいい加減崩壊寸前になったところで、構わず金管が吼えまくる。で、また、ごそごそ弦が這い回る。

 抱腹絶倒。

 ここで肝心なのは、それぞれの奏者に技量があるということ。アマチュアだと、この種のどしゃめしゃはよくあることですが、迫力はないですよね。
 本番だから途中でやめられない。腕っこきがそれぞれ、この野郎と思いながら、自分のパートだけをがむしゃらに弾きまくる。

  で、ままよ、えーいどうにでもなれ、と演奏者全員がやけっぱちになった(に違いない)大騒ぎのうちに、崩壊寸前、ぶったぎるように、三楽章終了。

なんともいえない、感動(とはいえないか)、或いは名状し難い興奮で、全身総毛立ちました。
 もちろん、終楽章など聴かずに、心震えながらホールを後にしました。

 
 これが、私の、チャイコフスキー開眼体験です。

 決してチコフスキー様をおちょくっているのでは、ない。最近、斜に構えたオチョクリ批評が一部ではやっていて、それはそれ、従来の教養主義的なドグマから開放するという意味では一定の意義はあるけれど、私はそれに与しません。
 チャイコも、ピアノコンチェルトの2楽章で、ピアノが消え入るようにささやき、チェロのソロにつなぐところ、とか、くるみ割人形(全曲版)のある一瞬とか、好きなところはあるのですが、ピアノコンチェルトは、まあ、大方の印象は、一楽章のはったりだろうし、ヴァイオリンコンチェルトは、例のぶんちゃかちゃちゃっちゃっの、伴奏だし、まあ、はったりかまし屋さんなんですよ、ロシアの。
 あと、五番のシンフォニーで終楽章、途中で、観客が終わったと思って必ず拍手がはいるところ。その後の駄目押しは、あれは、なんなんでしょうねえ、大見得を切ったと思ったら、まだ先がありました、最後はマツケンサンバ状態です、という演出をまじめに狙ったんでしょうねえ。

 それがとことん腑に落ちる、素晴らしい演奏でした、なんども言うけど、決して逆説的な意味でなく。
 
 なべて、心動かされること、「もののあはれ」こそが、およそ人間の手になる芸術の本質なのだ(ちょっと違うか)と本居宣長さんは喝破されました。

 私も同感です。

 「心動かされる」ことには、いろいろな様相がありますが、そういう体験をする、というのは、人として生きていく上で、大きな栄養になります。

 この、上野の山での経験を謙虚に受け止め、宝石のようにこの小さな胸にしまって、つぶらな瞳で日々暮らしていこうと思います。