風邪いまだ全快せず、今日は一日、なにもしない、ということをすることにしました。ゆるやかに時間が流れ、いい気持ちです。
で、こういう時には、肩のこらない本を、ということで、伊丹さんと遊ぶことにしました。
この本は、細かい語り口に至るまで記憶しているので、読書というより、確認作業の様相を呈するのですが、何度読み返しても、滅法面白い。
この人の、人間、特にその滑稽と悲惨に対する飽くなき好奇心には、ほんとうに頭が下がります。
京都に行くとき、阪急十三駅で乗り換えることがあり、そのたびに、ああ、ここは、伊丹十三の筆名の由来になったところだなあ、と思います。
手元にあるのは、文春文庫1979年6月25日の初版ですが、間違いなく、76年のハードカバー発売時、読んでいます。
当時、この人の「小説より奇なり」という雑文集が学校の図書館にあり、既に、その談話の筆記化の驚嘆すべき才能について、仲間うちで、あれこれ語りあっていました。
テレビマンユニオンで、天皇の世紀(竜馬は、中尾彬だったと思う)とか、終戦工作の話(仲代達也)とか、劇中に、伊丹氏が平服ではいっていき解説を始める、というドキュメンタリーの手法も斬新で面白かったですねえ。
つくづく思うのだけれど、才能にも旬というものがあって、この人は、間違いなく、この頃がピークだったと思う。
その後、映画監督として世間的には一層名をあげたけれど、私には、どれも全く面白くない。作意がいやみにつながり、この人のエグイところしか伝わってこない。
心理学に凝って、岸田秀なんかと「モノンクル」なる雑誌を創刊したりして、その頃は、まだこの人を追いかけていたから、買って読んだりしましたが、心理学という、言いたい放題の領域に、まじめにかぶれていて、おじさん大丈夫か、と思いました。
この人の真骨頂は、人間に対する飽くなき興味。その滑稽さとそれに表裏をなす悲惨さ。とことん都会的な諧謔。
そこらへんをしみじみ鑑賞したい。
どれも面白いが、いくつか挙げると、エッセイでは「新幹線にて」「芸術家」談話に筆記化では「天皇日常」。
そういえば。
1982年、学校を卒業する3月、ユーレイルパスを使ってヨーロッパ駆け足旅行をしたが、この本でべた誉めしていたので、ミュンヘンの博物館に、わざわざ寄り道して(街のはずれにあり、市電に乗ったりして結構面倒だった)行ったもんです。私には、神田の交通博物館とどっこいどっこいに思われましたですがね。