岩波「図書」2月号届く。
父母未生以前本来の面目、が、己はおろか父母さえも未だ生まれていない時、ではなく、父母からまだ自分が生まれていないとき、即ち、父母は、さすがに、存在している、の意である、と。
おれは、前者、おやじもお袋もまだこの世に存在しない時分の自分、とは、と解釈していた。
改めて、両者を比較すると、両親の影も形もない昔、のおまえはなんだ。のほうが、カッコいいと思う。
で、わかりません、とこたえると、わかるようにしてやる、と耳を引っ張られる。
いてえな、わかりました、わかりました、と答えを訂正すると、わかるわけねえだろ、とますます強く引っ張られる。
というのが禅問答の本質だ、と。
無理が通れば道理は引っ込む。が、禅の神髄だ。
お師家さんとは、無理へんに拳骨と書くなり。
主宰はそう解釈する。
だいたいあってるんじゃないですかね。
で、なんだっけ。
また、隻手の声、は、白隠の創作である、とも書いてあった。
へえ。この稿は、私の蒙をにども啓いてくれた。
白隠には思い出がある。
京都をうろついていた時分、プライスコレクションを見に行った。10年ぐらい前。
若冲が、うり、だった。おれも、それが目的だったが、帰りの道すがらは、おれという存在のすべては鈴木其一に支配されていた。
あれは衝撃だった。
鷺と柳の、あの時空が凍りついたような存在。
で、白隠でした。
プライス氏は、素人さんですから、コレクションは、あっちこっちする。
若冲、抱一、其一、は気持ちよく流れるが、たまに、外道がはさまるのは、いたしかたない。
白隠の、例のぎょろめのだるま、が、琳派にまじって、掲げてあってもおかしくはない。
おかしくはないが、遭遇したときは、すこし当惑した。
白隠の、ほんもの、だろ、プライスさんの見立てが間違っていなければ、を見るのは初めてだった。
印象は、俗臭ふんぷん、だった。
琳派の、柔弱な絵を観続けて、なんか風呂にはいっているようなよい心持ちになっているときに、いきなり、ということでは、ない。
たおやめぶりからいきなりますらおぶりへ、ということではない。
ごつい絵だって、混じり気のないのはいくらでもある。
抱一の植物の軸のとなりにゴッホのひまわりがあったとしたら、それはよい出会いではないだろうか。
白隠は、絵、というより、檄、あるいは、叱咤、を図案化したような、そういう意匠、それは即座に感じ取った、ように記憶する。
たぶん、みんなそうじゃないか。
で、白隠の、禅坊主の迫力に打たれる、と。
もともと、おそらくそういう意図で量産したのだろうから、それも構わない。
進んで、おれは、そのメッセージに、下世話なものを感じ取った。
ここが肝心。
「どうだ」とでもいいましょうか。
「ドーダ」といえば鴎外なので、鴎外に通底する、根性であるかもしれない。
白隠って、ただのはったりやさん、じゃないですか、というのがおれの直観。
咄嗟に、そこまで読み取った。
いまも、ぶれない。
あのころのおれさまは、自分で言うが、少し、越えてしまっているところがあった。
京都にいた一時期は、わたしの60年の寄り道道中のなかで、未だに、なんだかうすぼんやり、ちょうどいま思い返しているように、どの箱開けても宝の山、みたいなところがある。
「美の不意打ち」のころね。
はい30分。校正なし。