次。図書
こっちは面白満載だ。
ビールワインワイン。
ワイン三杯めはやめた。
順にいきます。
◆読む人・各人・作る人
「勤勉な馬鹿ほど、はた迷惑なものはない」
秀逸な警句だ。
◆永遠の未完
漱石の先客は大拙であったか。
幾多郎と大拙は言うまでもないが、漱石とも、鉢合わせはしなかったかもしれないが、少なくとも門には、大拙の存在が記されている。このころの横のつながりは、なんというか、あこがれというか、あくがれ、というか、ご厚誼はいただかなくてもいいが、その時代の空気を一緒にすっていたかった、という感じがします。
大拙とか幾多郎とか漱石とかとわたりあうのだから、このころの禅者はほんものだったのかもしれません。
◆対談苦しみも、以下略
感想。略
◆終焉のない「戦後」
野坂はおれも好きだ。キーワードは羞恥心だ。
前半はOK、後半、アメリカがどうのこうのは、全然だめ。
◆ヒラリークリントンがどうしたこうした。
「他力本願の正確な説明」は聞く相手を間違った。
おれに聞け。
善人なおもて〜の本質。
善悪は、人間が勝手に決めた物差し。
物騒なこと刃傷沙汰はなるべくさけようよ、というルールに過ぎない。
横断歩道を渡りましょう、と重さも一緒。
したがって、人間がどう生きるか、とは、全然関係ありません。
以上。
信仰義認
誰が「義認」するのですか。
神様です。
だれが神様なのですか。連れてきてくれますか。
無理です。なぜなら、私が勝手に想定しているだけだからです。
ここで、義認する主体の実在が証明できないことにより、信仰を義認する、という動作自体が否定された。
QED.
一神教にまつわる精神病理の淵源はすべてここにある。
他力本願
他人のふんどしで相撲を取る、これぞ男の生きる途
楽して儲ける、ともいえる。
健全、ということです。
おしまい。
信仰義認と他力本願は、これほど違う。
わかりましたか。
◆死の再発見
また今度。
◆能楽と戦争
いずれまた。
◆石畳雑記
作家だったら、ひとつぐらい面白をいれろよ。
◆繋がりゆくもの
この筆者は一回ほめたことがあるのだが、清く正しく美しくに面白はない、とだけ言っておこう。
悪いが、この内容は、正義とか善とか真実とか、あとなんだこの方面の語彙がおれには乏しいことがこういうときに露見するが、そういう、えーいなんだろう、「人間性」か、に立脚することに決めたら、悪いが、誰にも書ける。自動筆記。
悪いが。
◆理解できないこと
この人は、超絶面白。
福田和也と好一対。立場は両極だが。
IOCの裏金について、「古い頭ではなぜこんなことが起こるのか理解できない」のだそうだ。
おいらの頭はもっと古いが、わしは理解できる。
というより。
おれにもよこせ、といいたい。
追って高村さんに告ぐ。
教材営業10年やっていただいて裏金とらないセンセイ(岩波のご贔屓筋だ)がいたら、なかにはいるだろうけど、構成比を教えてください。
10年待ちます。
そいで、2割を超えたとしたら、そんな不自然でやせ我慢な国は、おれは見限って火星にとぶよ。
裏金、というから聞こえが悪い。
正しく、他力本願、とお唱えするものじゃ。
◆よい眺め
新日曜美術館でもやっていたが、私の印象は
です。
西武はモランディの遺族にロイヤリティを払いなさい。
◆邂逅への衝動
この人は、「ひっぱる」癖がある。引用癖。
今回は、唐木順三。
唐木さんは、心敬の論考はよかった。
道元は、ひいきのひきたおし。
井筒さんはどうしました。
◆固有信仰と普遍宗教
先祖をいうのに、なんで「根源者」をひっぱりだすの、ライプニッツさん。
キリスト一神教の病理はここにもある。
自分で自分に枷をはめて、一生苦しむんだね。
いや、あれですよ、柄谷さんの文脈を採用するとして、ですよ、あくまで。
ちゃんと疑ってますよ。
という前提で。
この国でほんとよかった。
ご先祖さまはご先祖さまですよ。他に絶対者いらないですよ。
◆戯曲の解説は演劇的に書いてくれ
これはもともと面白というか、もっとストレートに、受け、を狙っているので、お笑いなので、当方も脇をしめる。
厳しめ。
まず、つかみは陳腐だ。
それで思い出すのが、高嶋ちさ子だ。
この人のヴァイオリンの技術については後日としたいが、面白センスは凄い、じつは。
さだまさしか高嶋か、という前ふり技。
こんなのがあった。
伴奏ピアニストとの会話
「こんど小泉八雲がらみの仕事があるの、音楽じゃないけど」
「対談ね。」
こういうセンスを学びなさい。
ハムレットという題材はいい。
小公女以来だ。
だが、おれも学をひけらかすが、ハムレットだったらシェイクスピアではない、ラフォルグだろう。
訳者は無論吉田健一だ。
これを忘れてどうする。
ハムレットはラフォルグによって完成されるのでありますよ。
to be or not to be
のくだりはこんなところか。
それに私自身が存在しているとか、或は私自身の生活を持っているとかいふことにしても、どの程度まで確実に言へることだろうか。私が生まれる前にはこの私と少しも関係ない永遠があり、私が死んだ後にも永遠が横たはつてゐる。そしてその間の僅かな時間を暇潰しをして過すとは!
その間の僅かな時間を、こんな与太書いて暇潰しをして過すとは!
と自分でもつくづく思う。
最後にベルイマンを出したな。
ベルイマンは魔笛の演出もいいぞ。
映画は、その昔岩波ホールで我慢していろいろ見たが、全然面白くなかった。
魔術師、だっけか、マックスフォンシドーが魔術師を演技をする、しかもベルイマン的深刻さで、でもなんちゃって手品師でした、というやつだけ面白だった。
ベルイマンさんも一神教が神様をでっちあげたおかげで終生不毛な格闘をしましたね。
◆大岡信とばかの伝統
唯一論評に値せず。
◆こぼればなし
這う這うの体という表記を知った。
目から鱗だ。
若冲は、むかし、東御苑のなんとか美術館、無料で、例のカエルだの鶏だのの展示、みたぞ、ついでに。がらがらでした。
あとプライスコレクションも、京都市立だったか、大鳥居様のとなりのあるとこ、で見たが、これもすいてました。
以上。
よいこのみなさん、今日のテーマは一神教の悲惨さでありましたね、結果として。
言わずもがなですか。
いくら暇とはいえ、いくらなんでも体力限界、はうはうのていで退場します。
ここまで書かせた岩波「図書」編集はえらい。