啓発舎

マジすか? マジすよ

起き抜け、昨夜の演奏会の響きが蘇った。

 

と、ひさびさに、のっけから、「つかみ」をかましてみました。

 

はずしたか。

 

目覚めの最初の感覚は時空の認識を伴わないから、響き、あるいは響く、ということばは正確ではない。響き、には、空気の振動の意味合いが、私には、ある。

体を満たしていた、というべきか。空気を媒介せず、たとえば、骨伝いに自分の声を認識するような。

 

それも違う。振動、の感覚ではない。

 

もっと、なんていうのかなあ、ふわ、とか、そよ、とかいうかんじですよ。

 

それは、あれだろ、触覚だろ、触れて感じる、ということだろ。

 

それでわかった。

優れた演奏会は、まず、聴覚で感知せしむる。

おくれて、触覚での反芻をうながす。

 

というようなことを白昼いつものカフェでブレンドなめながらあーでもないこーでもないしているおれさまだ。

 

 

それでも午前中は世間様とのやりとりがあった。

ケチビシの偉いさん二人組がやってきた。

業務引き継ぎのあいさつ、とは聞いていたが。

なんと、現職の課長さんが、実は、私、銀行辞めるんです、と。

若くして課長に昇格して、これから、というこの時機に、退職だって。

 

新旧そろってのご挨拶だから、円満であるのは間違いない。

根ほり葉ほりはできなかったが、なにやら、別業種、それも内部っぽいお仕事に就かれるそうな。

ひさびさに、できる役付きがおれに巡ってきた、と思ったら。

そういう事情なので、ご挨拶は最小限にしているのですが、主宰には、どうしてもお目にかかりたくて、などと外交辞令、ですよたぶん、そうでもないかもしれないが、を言われてしまった。

オートロックの関所二か所越えて、正面玄関までお見送りしたですよ。

 

そういう時代なんですね。

 

世の中は、まぎれもなく動いている。

おれなんかの身辺にも、その気配が、こうして届く。

 

で、その波打ち際で、ぽちゃぽちゃやりながら、原初の感覚とは、とか、蒟蒻問答しているばち当たりなおれさまを神よ許したまえ。