啓発舎

マジすか? マジすよ

日曜日、最近音楽はどう、と水を向けられたので、ブラ3のいきさつとか、バンドやる、よす、アコースティックだけやる、やっぱりやめとこう、で、同窓会になだれ込む、とか、一気にフラッシュバックしたが、気が遠くなりそうなので、いや来年田園を、と、話をこの先に誘導した、とっさに。
濃い記憶は、甦るだけで体力を消耗する。濃さは、音楽よりも、それにかかわるメンツによるので、おめえら60ぶらさげてなんでああなんだ、と自分を棚に上げて、しばしトホホ。
個別撃破、撃破というのはアレか、一対一で対峙するだけでもたいへんなのに、とひと月前の本郷合戦が浮かび、また消耗。
で、日曜日にもどすが、田園は一緒にいったよね、と即座に言われたので、そうだっけ。
コンサートで誰がなにをやったかは、鮮明だが、そのときとなりに誰がいたかは、たちどころに、ぶっとぶ。

で、田園とか、あと、えーと、当方が確かなのは、イタリアのハロルド、とか、ショスタコのチェロコンとか、魔笛とか、日曜日の相方といったコンサートで当方の記憶にすぐ甦るのについて、しばらく語らった。
しぶいのが多いね。
 もちろん、音楽がどうだったか、細部は再構成できるはずがない。
 ニュアンスとか、体感の残滓がかすかに灯るのみ。


 で、それが、まじりあって、今。
 なんです。


 要するに、暑さ、熱さで、頭が朧になってるのね、いま。
それで、日曜日のことが、つい三日まえだから浮かび、なし崩し的に、音楽に飛び、田園どうだっけ、と。


 ぼーっとする、とか永遠の午後、とか、おれはすぐ書くが、ぼーっとする中身はどうなんだ、という問いには、きちんと答えていない。

 たとえば、こうです、というのが冒頭からの書き飛ばし。


 複数の音楽が同時に。みたいなかんじよ。


 田園二楽章のファゴットとか終楽章の弦の質感とか。


で、今日は、永遠の午後でした。