啓発舎

マジすか? マジすよ

ブラームスは、ブルックナーを評して、交響的大蛇、と言った。
わかる気がする。

まず、「大蛇」の意味するところから。
大きな円筒形の物体がとぐろを巻く様、と理解する。
これはたぶん洋の東西を問わない。
ブラームスもおいらも、だいたい同じイメージを共有する、という前提。
当方は日本人なので、さらに別の物体も連想してしまうのだが、ちょっと、それは、また。


ブルックナーの音楽を、こう形容したブラームスはさすがだ。

円筒形は、パイプラインみたいに、ずん胴のイメージ。太くなったり細くなったり、は、ない。
とぐろを巻くのは、らせんのイメージで、寄り道せずに、だんだん上っていくかんじ。


ブルックナーは、ずばり、それよ。
複数の主題をあれこれする手法は採用しているが、全体として、一定の流れが、休止はあるが、ひとつの方向にまさしくらせん状に上っていく、その流れに身を任せる気持ちよさ。暗く暖かい部屋でワインがあれば、他になにを求めよう。
ブラームスは、きちんと見切っている。悪口じゃないと思う。すこしやっかみもあるかもしれない。


では、ご本尊はどうか。
実はいま、ブラ3の譜読みをやっている。
スコア見ながら何度も聴いていると、こんな面白は他にない。

コンパクトな曲なので、たとえば一楽章のソナタ形式なんて、構造が透けて見える。
ワグナーはすでに実験をやりつくして亡くなっている。ベルリオーズもとっくに幻想を発表してはちゃめちゃやっている。
そんな時期に、時代遅れのようなソナタ形式を、しかも厳密に採用して曲作りをするブラームス翁の土性骨。

構造を鑑賞する、これは、曲であります。
そのときどの音が鳴っているかではなくて。
もちろん大蛇ではない。
第一主題が表明される。
で、それはおいといて軽めの第二主題。
かけあい、展開でこねくりまわして、再現ね。
同じ太さでも螺旋形でもない。寄り道もしまくる。
これを几帳面にやる。

正直、少しせわしない感もある、ブルックナーばかり聞いていると。

だがしかし。
三楽章なんか聞いてごらんよ。
チェロ、木管、ホルン、弦楽合奏、と楽器をかえ音色をかえ繰り返されるあの主題と、あいまの浮遊するような木管の遊び。

終楽章は、さながら芸風の発表会です。
で、さんざんやることやって、静かに終わる。


ブルックナーブラームスをくらべてどっちがどう、といってもあまり意味がない。
両者、あまりに違う。
細かいことは気にするなよ流れじゃよ流れ、という向きと、神は細部に宿る、という仁、は、それぞれとるべきところがある。

おれらはそれをしみじみ味わえばいいのです。
共通するのは、滋味というんでしょうか。
こういうのがじわじわ響く、おれも、年頃になったのか。
適齢期か。



ところで明日は本郷だ。
集合場所は古戦場だ、照れくさいぞ。店はルソー、じゃなく、ルドン、でもなく、誰だったか画家の名前よ。
ハハ。