啓発舎

マジすか? マジすよ

では、この国はどうか。

◆世界中を単色で塗りつぶす「グローバリズム」でもなんでも用語はいいが、要は、「画一化」にはもともと大反対なので、それに反する動きは、「反画一化」に資する限りこれを支持する。
◆じゃあ、画一化からあ守るべきものは、なんなの。
 と、即座に問われるので、ここは、すこしはきちんとしないといけない。
◆手っ取り早く、そこらのなんとか思想をひっぱってきて、「朕なんとか」とかやるとどうなるかは最近の騒動で明らかになった。
◆ほんとに守るべきものはそんなもんじゃなくて文化とか習俗とか伝統とか一人一人にとっては「教養」みたいなものだ、といま決めた。で、これは一筋縄ではいかないのよ。
◆そもそも、教養とはなにか。 
 孫ひきになるが、中野翠さん、だったと思う、が、「教養とは、いろんなそういう古くからあるその国の文化的な伝統をわがものにして、その中で自由に遊べる精神のこと」みたいなこと書いたのを読んで、目から鱗はおろか目玉ごと落ちるは、膝の皿は割れるは、体中に電流は流れるは、たいへんな思いをしたことがある。
知ってる、だけではだめだ、「遊ぶ」ことができないといけない。
どうも、それを言ったのは福田恒存先生であるらしい。で福田先生はエラい、という文脈だった、とかすかに記憶する。
これ、だいじなことだから、こんど調べておきます。
◆和歌をよみ、管弦を楽しみ、少し時代が下れば、茶の湯お能もありますな。高野切れなんてお茶のこよ。
 できますか、ご同輩。
◆当方が、自らを保守主義者と自認するのをためらうのは、まさにこの一点にかかる。
 無理だ、おれには。
◆保守というのは、イデオロギーとかイズムとかでなく、第一義は、これだ、と思うんだよね。
◆フジサンケイでチーチーパッパ言ってる自称保守の論客は、だから、実際は、その無教養さにおいて、保守どころかその対極にある、アベを含めて。
 アベはどうみても教養ない。味わうことはおろか「知ってる」かどうかも怪しい。
◆いかん、つまらぬ寄り道をしてるひまはない、フジサンケイのお笑い軍団などどうでもいいので、では、ほんとの保守は、どのあたりに棲息しているのかが、本稿の主題である、いままで長々書いたのは、前ふりだ。
◆いま、うっすら思うのは、カルチャーセンターで花だのお茶だの陶芸だの盆栽だのやってるじいさんばあさんが、一番近いんじゃないかなあ。



で、当方はいま、俳句教室申し込みを、すげえまじめに検討している。
春のお教室の締め切り間近だ。