ここらで、用語解説。
小汚い、という言葉をよくつかう。
問答無用でばっさり、というつかいかた。
いくらなんでもそれはあんまりだろう、汚いものだって現に存在しているのだから。
おけらだってアメンボだって人間だ。
みんなみんな生きているんだともだちなんだ。
って小学校の音楽で習ったぞ。
ひどいじゃないか。
もっともだ、誤解を解きたい。
まず、私が、小汚い、というとき、ほんとにそれは汚いか。
世間でいう、汚い、と、同じ意味か。
全然違います。
ゴミが汚い、とか、アベのやり口が汚い、という世間で通用する汚さとは相覆わない。おれの規準では、ゴミもアベも同類ではあるが、ゴミであるアベであるということだけでは別に汚くはない。
アベは小汚いが、主義主張とか立ち回りがきたないのではなく、存在そのものが小汚いので、その基準は後述する。
おけらやアメンボは、世間でも汚いと思われていないと思うが、私も無論、汚いと思わない。おけらは、とっさに外観がうかばないが、たぶん、愛嬌のある生き物だと思う。
世間のものさしとなにがなんでも違う、ということではない。
では、なにをもって小汚い、とばっさりするのか、私は。
いちばん近い定義は、生息域が異なる、ということです。
生息域が違うというのは、そっちこっちでいうと、それは間違いなく「そっち」だということです。
ただ、それは、ああくまえ当方の縄張りに関することなので、他の善男善女がどう判断するかは私の知るところではない。
要すれば個人的。一般にきたない、とはいあない。
では、生息域を判断する基軸はなにか。
おれは五感で生きている。
場所を選ぶのも人を選ぶのも全部五感だ。
その、五感に照らし、そっちこっちを分別する基準が小汚いかどうか、ということであります。
そっち、即ち、小汚い、ということです。
これで、どういうよいことがあるかというと。
清らかに暮らせる。
ということに尽きる。
以上。