岩波「図書」9月号届く。
◆「ジョン・レノンとプルードン」
プルードンを読んだら、「宗教におけり神、政治における国家、経済における所有をまとめて破棄しなければならない」と書いてあって、ジョンレノンのイマジンが浮かんだ、と、筆者細見なんとか氏は言う。
そっくりだ、と。で両者についてぐだぐだあって、両者は、とりあえず無関係だろう、と。
で、そのあと。
抜粋
しかし、直接的な結びつきがないにもかかわらず、125年の歳月を距てて、一方はフランス語の著作で、他方は英語の歌で、ほぼ同じ内容が語られ、詠われているということがここではやはり重要なのではないだろうか。レノンが実を置いていた文化環境のなかにプルードンの思想が地下水脈のように流れていた、といってもよい。
これを読んで、「なわけねえだろ」と声に出して反応しなかった奴とは、いっしょに飯を食いたくない。
耶蘇教がなんでだめか。勝手に「神」を措定して自分をがんじがらめにするからだ。
身捨つるほどの祖国はありや。
これは、神、および国家に対する、啓発舎主宰の基本認識である。
プルードンなんて、無論読んだことない。
およそ、ヒトが自分の内側に向かってダイブはじめたら、遅かれ早かれここにはたどり着く。
それを、プルードンだかプルートーだか、自分が崇拝している奴一人の手柄にして、ジョンレノンの文化環境にもプルードンの思想が地下水脈のように流れていた、と強引に結びつける。
ジョンレノンもオノヨーコもいい迷惑だ。
いま書いていて思っただが、この「地下水脈」は便利だ。
19世紀フランスの思想家と20世紀半ばのリバプール、ニューヨークを無理やり「地下水脈」でつなぐ。
これをつかえば、道元とハイデッカーも、プルードンとおれさまも、みんな地下水脈で説明できる。
これと、あと、えーと「ユダヤの陰謀」史観でもあれば、森羅万象向かうところなんでも説明できる。
このヒトがどうしようもないのは、単なる短絡ならまだいいのだが、神なり国家なり所有なりの否定は別に無政府主義とかマルクスがらみ、とかでなく、およそ「人間」が虚心にものごとを考えれば、いずれでてくる、という人間一般についての理解すら、ない、ということだ。
おれだって、啓発舎主宰だって、自分でひねりだす。
基本的な人間理解すらなく、自分の立て籠るブンガクだのテツガクだの狭い世界だけから世界をのぞく。
従って、実際にはなにも見えない。
この類型を、いま仮に、「岩波バカ」と名付けよう。
このヒト、京大の教授だそうな。
岩波バカは、いまなお、そこらに棲息し、こうして国費をむだづかいしている。