この何日間か用事なく浮世離れしていたので、例の感じだ。
書いても自分でもちっとも面白くないのだが、それが日常のすべてなので、しかたない。
おととい、だと思うが、空も青いし雲も白いってんで、いつものようにとなりの空地に遊びに行った。
で、いつものように、いまこの空間が存在のすべて、感につつまれていたのであった。
10年後も100年後も、こうして、ただ、いる、ということであるのだな。
たどり着くところにたどり着いた。
ということです。
今は、窓際飼い猫指定席に自らを配置し、これもいつものように、空を見てぼーっとしているのだが、感じは一緒ですね。
自足、というと、自分の存在を客体化してしまうので、適切ではない。
自分もどうでもよくなるかんじですよ。
明日から、世間様とのやりとりがあるのだが、このところ、その世間様づきあいにも、この今の日常が明らかに影響している形跡が、ある。
良いことだと思う。
選ぶ、というのは少し言葉が強い、よける、というかんじだろうか。
厭うということはないが、自ずから、ということはあるかもしれない。
ある程度それができるという環境はだいじにしたい。
繰り言です。