啓発舎

マジすか? マジすよ

昼間の田町の会合が悲惨であったため、ひとり途中で切り上げバスに飛び乗ったら恵比寿に連れていかれスタウトで憂さ晴らししたら広場で文化祭と称してそれ関係の専門学校のファッションショーをやっていてそれが結構面白かったので見てまた飲んで、わかっちゃいるけどやめられないので、図書がどうおもしろかったか手短に書く。

特集【図書800号】の寄稿が、どいつもこいつもおちゃらけ文体だ、一人を除いて。
岩波だからポキポキ書けよというつもりはないが、みんな本をよまねえとかネットは短絡とか言ってる奴の文体がそいつらに阿って(←変換したら出た)、いるわけではないのかもしれないが、いるようにしかみえない例の言い回しで書いてどうする。関川先生たのみますよ、「虫干し」なんか未だに寝る前開くことあるんですから。


だから、梨木さんのポキポキ憤る文章は新鮮だ、タイトルも「この年月、日本人が置き去りにしてきたもの」。

この問いを見た瞬間誰もがその答えに人間性とか血の通った、というニュアンスを予見でき、事実そのとおりで、そこに至る論旨も、昔の岩波の刊行物にはこういう熱血ものがあるぞ「育もうという力」がにじみ出てるぞ、それに比べて・・・というよくある展開。内容はそういうかんじ。ちょっとステロタイプ

おもしれえのは、そこで引っぱってきた「科学の事典」という本の文体について言及したところ。
「明晰であること、的確であること、必要最小限の描写で表現したいことを余すところなく伝えられるよう努めること」
で、ご本人が率先炊飯、かよ、垂範されているんだと思う。

おれは賛成だ。
岩波は、やっぱりいったんそういう、梨木さんの言う「科学の事典文体」陣地まで退却というべきか前進というべきかしたほうがよくねえか。図書の編集方針は。

そうじゃないと、おれがいま書いてるゴタクとえらぶところないじゃん。

斎藤池澤ほかが口を極めてののしる、ネットでブログでおだまく酔っ払いおやじと。


どさくさの勢いで書くが、おれなんかだって、おいらなりに、明晰適格必要最小限で書くとの、矜持、なんて言葉をつかってどうする、があったりするかもしれない、実は。