岩波「図書」7月号届く。
一時やたらにけたたましかっとのが、だいぶ静かになった。
岩波は、こういうほうがいい、数字を狙って時流に阿ったり、エキセントリックなだけな女、失礼、女だの男だの、を起用すると、逆効果、ということもある。余計なお世話か。
◆「戦後文学としての荷風文学」
ああ、荷風は、暗い時代にあって、「無用の徒輩」「下愚」浅草の踊り子に深い愛情をそそいだ、として断腸亭の記述をひっぱる。
疑いもしない。
スマホからメール返すると「★◎さんは書きました」というのが出て、消したいのだが、おれの技術では消えない。
荷風は、これです。
「なんたらかんたら」と、荷風さんは書きました。
思いました、ではない、書きました。
荷風の戦後のエピソードで、踊り子の証言を、どっかで読んだ。
置かsを持参して楽屋で油を売るのだが、踊り子は何人かいるのに、贔屓の子にしかおかしをあげない、と。
苦労人には、これは絶対できない。
おれとかですら、みんなでわけあって、ってやりますよ。
それを平然とできる荷風さん。
この踊り子の証言は事実だと思う。
事実でない、としても「真実」だ。
だから荷風は、好きだ。
「凄い」奴なんですよ、こいつは。
荷風が、踊り子をほんとはどうみていたか。
ヒトか、モノか。
再度いう。
荷風は、すごい奴だ。
一筋縄ではいきません。
筆者の三谷氏は、おれが在籍した時分の政治学の教授だ、抗議はとらなかったが。いずれにしろブンガク方面ではない学者さんです。
政治学は、文献を、まず、なわけねえだろ、と疑ってかかる精神は、あまり必要とされない分野か。
筆者の論考は、戦争の暗い時代で「下愚」な人々に対する暖かいまなざしを維持し、時代に抵抗する荷風の「戦争文学」、なんと素晴らしい、という、法学部らしい、わかりやすい筋立てなので、おれがあれこれいう筋合いはない。
荷風を、まず、そう決めたら、あとは一気呵成であります。
どうでもいいはなし。