啓発舎

マジすか? マジすよ

じつは、きのうまで、少し根をつめることをやっていて、今日から完全にオフ。

で、ぼーっとしているのだが、折角の1年のおわりなので、すこし、このところ思うところを。
時間ができてからたかだか半年なので、まだ、これからどうかわるかもわからないが。


誰さんそれさんのことが突然うかぶ、ということがある。
それは忙しい時分にもあったことだが、あれこれにかまけて、すぐどっかにいってしまうのだった。
いま、わりあい、その残像、というか、印象が自分のなかに滞留するので、それで小一時間過ごせたりする。


懐かしい、という、それは、気分です。



およそ、人のことを想う、私の一番垣根のない気持ちです。
体感といってもいいかもしれない。


ずいぶん長いことお会いしていない方もいるし、先月呑んだぜ、という奴もいる。
いずれも、うかぶときは、懐かしい、という、体感。


これは理屈じゃないです。
何年顔をあわせていてもそうならない人はいて、もうすこし懐旧の感情がわいてもいいのに、と自分でも当惑したことも最近実際にあったが、これは先方のせいでも当方の事情でもなく、単に肌合いみたいなもんだろう。
或いは、その関係が、お互い自発的なものではなく、他律的だから、ということもあるかもしれない。
そういう間柄がほとんどなのだが、稀に、そうではない、ほのぼの、しみじみした感情がわく方がいる。
そういう、垣根のない方、少数のそういう方々と、いっしょに年をとっていく、ということですか。


来年は、「閑」ということになったので、この文字に、その気分も包含してもらおう。
しみじみ、ということであります。