啓発舎

マジすか? マジすよ

現代における「閑」とは、論考

巣鴨で900メートル。今日も片道50メートル。
徒然草を読んでいる。
 閑、あるいは、閑かであることへの憧憬。これが通奏低音だ、と今回思った。
 実際作中「閑」の語は、おおい。
 
 なかなか、そうはいかないのだよ。

 巣鴨のNメートルと週末の恵比寿ビールと、ぼーっとすることとたまに温泉に行くこと。
 しばらく、これだけで構成しようと思う、自分の生活を。
 なまじ京都などは、きつい。またあれこれはじめてしまいそう。
 あとは、なんだ、徹底的に意味のないことばかばかしいことを思いつくこと。
 
 ひたすら、純粋に徹底的にばかばかしいことって、ないか。
 一時期の山上たつひこ画伯の作品のように。
 彼も筆をおってしまったしな。というか、別の筆に持ち替えたというべきか。
 ばかばかしさ、にしても、美しいことにしても、極めるのはきついよな。

 モンティパイソンも、後半は、ちょっと病んでいたし。
 でも、殺人ギャグの話なんか、面白かったなあ。

 徒然なるままに日ぐらし硯にむかいて、とことんばかばかしいことなどそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるわしけれ。