啓発舎

マジすか? マジすよ

外出してました

◆終末、じゃない、週末は外出。笑いごとではない。しゅうまつで変換すると冒頭が終末だ。普通そうか。当方が、「終末」を多用するからか。
◆人と会う用事があったのだが、みんな、それぞれ、少し、自身でなにかかかえている。なにかあったらそれまでだね、というのが共通して底流する思いか。
 お互い、とことん突っ込まないから、なんだが。
◆きのうの揺れは、たまたま当方のいた場所のせいか、震源地が内陸のせいか、ちょっと凄かった。ひやっとした。
◆当事者が千万人単位、それぞれが、なんらか、自身の「終末」と向き合う、ということをしている。ようだ。自粛、などという表層のレベルでなく。
◆当方なども、腹減った、とか、ビール飲みたい、など、日々厳粛に自分と向き合って暮らしているが、さすがに昨今どう自分と対峙しているかは、トホホの範疇を明らかに超えるので、このお気楽ぼやき日乗にはなじまない。だいたい、なんで対峙なんていう大嫌いな全共闘用語を遣うのか、とっさに。
◆ただし、いま、そのことを抜きにしたら、それこそ当方の日常が成り立たない、と思うので、このブログをいったんどうしようか、ということも考えないといけない。
◆時事ネタも食傷だし。
◆今日も午前中は事務の用事を片づけていたのだが、そういうことをこまごまやっている時が一番紛れますね。
◆こんどの「週末」は、コンサートにおよばれしていて、そのあとそこらで、という含みもいただいているのだが、正直、すげえ気が重い。
 マーラーの一番。
 おお、あたかも、金町浄水場で210ベクレ検出されたあの雨の21日、マーラーの二番をききに新宿にのこのこ出かけていたんだった。
 もちろんその時は、まだ水の情報は入っていなかったが、もちろん当時も重たい気分がずっと続いていたのであるし、その重さは演奏会のあとも払拭できなかった。
 マーラーの「精神性」はこんなもんか、という知見はあったが。
マーラーがどうしたこうしたということでなく。誰がなんの曲をやるか、ということは措くとして。
◆この、当方も感じているぐらいだから少なくとも当事者である関東の人たちがおそらく共有している「重さ」が、なんか、落ち着き、とか、達観とか、豊か・・・という言葉は語弊があるか、静か、とか、安らぐ、というかんじか、そういう方向に、なんだろう浄化していけるのであれば、そこに、かすかに、希望、のきざしがほの見える、ということか。国レベルで。この国がかわるか。

 すぐ、こういう方向にいってしまうんです、妄想が。
 さらに、だいたい、なんで、おれが、3年に一回、しかも否定的にしか思いつかない「希望」なんて言葉をはかないといけないのか。 
 という自問自答もしてしまうんです。 

 寝よう。