◆印象派、と、ひとくくりにしてはいけないのかもしれないが、あの時代のパリでは、モネとセザンヌだろう、結局。
◆マネは好きだが、ポップだ。ポップが悪いわけではないが。
◆モネとセザンヌは、全然違う。
◆最近、じわじわくるのはセザンヌだ。
◆あの、空気が凍ってる感。
静物と人物。サントなんとか山とか、水浴の絵とかは、どうもピンとこない。
丸の内の美術館と、オルセーの新美術館は、のぞいたほうがよさそうだ。
◆建仁寺の庭について。
強い、強靭ということについて語ろうと思う。うまくいくか、どうか。
今回建仁寺の庭でかんじたのは、勁い庭だ、ということ。
連休で人が多くでていた。坪庭に面した座敷のようなところは、人がてんでに寝転んでマグロ状態。寝転んで庭をみる。
なんだ怪しからん、気持ちよさそうだな、というわけで当方もやってみた。めったにできないよ、こんなこと。
それが、どうだ、この空間の感覚は。
寝転んだ人々を許容する、おおらかな空間は。
それは、庭の空間が完成されているからに他ならない。
人々も、その空間の中の点景になる。調和する。
方丈の庭にも似たところがある。
建仁寺では、もうひとつ、ピンときたものがあった。そこらに適当に活けてあった、おそらくはあやめ、か、かきつばた、か、花菖蒲か、の花。
これも空間を領していた。
要するに、建仁寺で、久しぶりに、時空感覚をとりもどした、ということだ。
それが、セザンヌを見た感じに似ている、ということだ。
やっぱり、うまくいかなかった。
その、時空を司る力が、建仁寺は勁い、ということが言いたいのだ。
京都は、随所に、そういうところが、ある。