朝から上賀茂へ。
ずいぶん久しぶりだ。
おととしの夏、仕事のからみで、殆ど毎週末この辺りを徘徊していたのだったが、秋口にそれが一段落して以来、足が遠のいていた。下鴨まではよく行くのに。
今回、曲水の宴を見るのが主目的。
門前でお約束の焼餅を食って境内へ。
紅枝垂が、きれいです。
芝生のお庭ではフリーマーケットをやってました。
お参り。
野点席におよばれする。
めぐりあわせで正客に座らされてしまい、薄茶を数服頂戴しました。お菓子は七條甘春堂。
受け付けの横では無料でぜんざいをふるまっていて、人気です。
宴に先立って、京都市美術館館長である村井康彦先生の特別講演。
当方蔵書に、「茶の文化史」(岩波新書)「茶の湯人物志」(角川選書)の二冊この方の著書があり、お名前は存じ上げていた。同朋衆のこと(茶の文化史)とか、南方録の実作者とおぼしい立花実山の話(茶の湯人物志)とか面白かった印象がある。
今日は、源氏物語の話。
其の後、平安時代の装束に身を包んだ男女が登場、宴が斎行されます。
いつも思うのだが、この時代の装束は、ほんとうに色鮮やかで、目が醒めるようです。
また、色あい。
こどもの水干も、朱、山吹、浅黄色(のようなブルー)と色とりどりでほんとに愛らしい。
マティスが見たら、その彩りに嫉妬するんじゃないかしら。
盃が流れ、歌人がその盃をほし、歌をよむ。
それを、女官のような人が独特の抑揚で披講する。
なんとも風雅な催しです。
雅楽の生演奏つき。
今回思ったこと。
なんだかんだで神社に半日いたのだが、こういう古い社にずっといると、次第に、圧倒的な善意、としかいいようがない感覚に包まれてくる。混じり気のない。
ただ清浄という。
宗教って、善悪、正邪の二項対立を強調するものが多くないか、キリスト教はじめ。
神道には、それがない、かどうかわからないが、おおらかな、対立するものを措定しない純粋な全てを肯定する「気」をひしひしと感ずる。
バカボンのパパ精神。これで、いいのだ、という。
その「気」の中にいると、なんだか、すこし次元の違う空間につつまれて、ちょっと妖しい気分になる。
いま気がついたが、「包まれる」という表現がぴったりです。
折角なので賀茂川ぞいを散歩。桜は葉桜になっていて、それなりに風情ありました。