音楽漬けなので、たまには聴覚以外のはなし。
箱根は、書いたように緑豊かだった。紅葉はまだ先だ。
下草に植生の力を感じる。
宿のベランダから、外の空間はみえない、すぐそこまでもみじだのなんだのが枝を伸ばして、緑一色。
これがえらく私の気に入って、終日ながめていて飽きない。
造形でなく、緑という色があふれる空間そのもの。
音は、ひとの手がはいると、俄然、受容するこちらが活性化する、伯楽のてにかかると。
絵とか、主に視覚にはたらきかける技芸は、その点、どうか。
という問いを投げかけること自体が、少なくとも私にとって、直接響く体感が、その強さが、音、には及ばないということだろうか。
自然にある色彩そのもの、造形、存在、空間、そのものが、美しい、というか、もし、時空間を体感する感覚が美しいということばと一番よく適合するなら、美、ということばを使ってもいいが、ただそうある感覚を呼び起こす、というのも違う、すでにある時空間と一体化する溶け込む感覚、は、人間の営為を超える、ということか。
視覚を中心とする時空間認識に、ひとの手はいらない、ということか。
樹だの石だのをもってきてそこらに配置する作庭は、その点、既に美しい時空間に、ほんの少し人の手を加えることで、気づきが深まる、という意味で、私にとって一番親しい、人為の表現行為といえるか。
修学院に初めて行ったときは度肝をぬかれたよなあ、そういえば。
箱根から帰って、窓から外をみると、雲の流れは、同じように美しい。