午後ガーデンプレイスのスタバでぼーとしていたら、突然京都三条スタバでトランスしている自分がよみがえった、自分に。
うまくいえないが、マトリューシカのような入れ子構造のような。いま自分がいるのはガーデンプレイスの事務所棟で床から天井までのガラス越しに道行く人をながめているのであるが、同時に三条のテラスで鴨川に向かい、アオサギだのとんびだのが、ゆるくそこらを徘徊(というのか鳥も)しているのをながめているのだか、奥の東山をみやっているのだか、空をあおいでいるのだか、なんだか自分でもわからない、あの状態でもあるような。同時に二つの場所にいるかんじ。
まあ、どちらもスタバで、にがいコーヒーをなめている、というのが共通してはいるが。
このところ、やっと、京都時代のあれこれが時折フラッシュバックするようになった。適当な日本語をこんだまでに探しておこう。
高桐院の紅葉、は最近だからか、インパクト強いからか。
三条スタバは、なんというんでしょう、必ずトランスするという意味で、ちょっと凄いところでしたね。
T氏と一緒にいったことがあって、傍からみるとあまりいい印象ではない、という内容のことを割合露骨な表現でなんどか言われた。「ぶっとぶ」とか「気味が悪い」とか「白目」とかいう単語が含まれていたようだ。せっかく順番待ちしてゲットした戸外の席なのに、割合早めに席をたたされた記憶がある。T氏のよればとことん長っ尻だったということだが。
ぷっつんするからわからないんですね。
そんなに君が悪い、じゃない気味が悪いか。
いまは、どうか。
京都鴨川河畔で自分が解放されるような、ああいうかんじに体がなるようなことは、ない。
もっと、重いかんじです。
今という時期がそういう時期なのか、場所の力なのかそれはわからない。
東京の中ではここ恵比寿のスタバは、力のある場所だ、拙者が1年がかりでたどり着いた。
ただ、京都の磁力は、その、次元が違うところがあるからね。
場所の違いもあるが、当方のコンディションの違いも結構大きいようだ。
このへんの話を始めるとちょっとそのなんですので、このへnでやめておこう。
こっち帰ってきて1年たつ。季節は秋。
そろそろ次の胎動が・・・ということか。兆しということか。
まあ、引き続き、自分をほおっておく、ということです。