昨夜は、疲労困憊ではあったのだが、T氏と数寄屋橋ニュートーキョー飲み放題という暑気払いの王道。
というわけで、今日も昼前に恵比寿。記念館でスタウト2杯。他。
隣に品のよい老夫婦がいるだけで、がらがらの空間。
遠慮なくぼーっとする。
ここにしばらくいると、まわりの空間と、自分の体の、なんというか、濃度が同じになるような感覚になる。
京都三条スタバに、そうしょっちゅう行けない昨今、ここはほんとに貴重な空間だ。
で、いいかげんいて、でて、といってもせいぜい一時間半ぐらいだが、三越を意味なく散歩する。
暑さだの、たまった疲れだの、昨日今日のビールだの、空が青いだの、雲は白いだの、様々な条件に恵まれて、ほとんどぶっとんでいたようだ。
で、流石に炎天下、何をする気にもなれず、帰る。
日経の黒木亮氏のコラムがちょっと印象にのこった。「私のひきだし」。
この人、名前は聞いたことある、経済小説の人だよね、およそおいらと縁のないジャンル、如何にも日経に書きそうなタイプ、ではある。同年輩のようだ。
商社、三菱商事のようだが、のロンドン現法を「ファックユー・マネー」を握って辞め作家専業になったという、よくある勇壮な書きだしで、はいはい、と思っていたら、最後、そのまま抜粋するが
人は生きがいを感じられる仕事を持つことが第一で、あとは雨露をしのぐ住まいと、食べるものがあれば十分なのではないかと今は思っています。
というしめくくりなのであった。
ほんとにそうだよな。
たとえば、今日一日は、私は、十分でした。
上の文章の前半を以下のように少し書きかえれば、そのままおいらに妥当する。
「生きがいを感じられる仕事を持つ」→「ぼーっとする時間をもつ」
どしても、「仕事」には、ならんのだよね。
禅の連中は「観照」だとか、もっともらしい言葉を遣うが、要は、ぼーっとして時空となかよくなってればいいんです。