啓発舎

マジすか? マジすよ

テレビ雑感

液晶がこわれて自宅のテレビがずいぶん久しく映らない。別に痛痒は感じない。
今日、久しぶりに、てれびを見て、ということは、およばれしている、ということだが、思った。
テレビに映っている人、なにやらしゃべっている人が、間が抜けてみえる、ということ。
別に悪気はない。
ただ、なんだろう、虚心に画面を眺めていて、居心地の悪い感じがしてきて、その正体はなんだろうと酔った頭で、酔ってないとこんなこと考えないが、更にぼーっとしていたら、突然、こいつらそろって一体なんだ、と思っている自分に気づいた。
にゅーすを読む奴、お笑い番組でなんだか騒いでいる奴(これはもともとばかなことをするのが仕事な訳だが、そこらの消息はいまは措く)新日曜美術館でこっちを向いている司会の二人組。など。
 たとえば、てれびでも字幕というか、なんというんだろう、電光にゅーすのような左から右にながれるやつ、あれで字を流せば情報としては必要十分です。
しかめっ面だったらり、にこやかだったり、わからん抑揚だったり、情報を映像で加工されて受け取らなければならない筋合いは、ない。

 不快である、映像と接していることが。てれびの。
 やたらにぱちんこのこまーしゃるをやるのは象徴的だ。ぱちんこやる人がみるめでぃあになっていくのか。