啓発舎

マジすか? マジすよ

談志 モンティ・パイソン など

昨日家族が東京に帰って、じわっと疲れがでてきました。
掃除とか洗濯とか昼飯(アヴォガドのパスタ うまし)とかは自動的にやってしまうのですが、それ以外は放心状態が続いています。どちらかといえば心地よい気分と言っていいのだろうけれど、あまりぼーっとしているのもなんですね。
 とりあえず、ばかばかしいことでも、と思ってテレビをつけても、見る体力がない。
 消す。
 よく考えたら、いちばんばかばかしいのは当方の頭の中だ、こういうときは、ほっとくと自由連想を始める当方のおつむにつきあうことにしよう。

 モンティ・パイソンに、今でも忘れられないコントがある。世界で一番面白いギャグの話。それを思いついたギャグ作家は、自分の作ったギャグに受けて、笑い死にしてしまう。死ぬ間際、書き留めていたため、メモとして残るのだが、これを読んだ者は全員即死。ついに軍隊が乗り出し、ドイツ軍に対し究極の武器として使用する。前線で兵隊がドイツ語でどなる(ドイツ語だから、叫ぶイギリス兵には意味がわからないんで死なずにすむんですね)と、ややあってドイツ兵の爆笑が聞え、ドイツ兵全員戦死。そして・・・
 死んでもいいからそんなギャグでも聞きたい気分だぜ。
 
 談志の独演会で聞いた、とっておきの小噺。師匠すいません、披露します。
 野戦病院に負傷兵がかつぎこまれ、二人の看護婦が世話をすることになった。一人は年配、一人は若いお嬢さん。年配の看護婦が患者を風呂にいれて戻ってきて、患者のある部分に英語でADAMと刺青が彫ってある、と伝えた。
次の日は、若い看護婦の当番だ。仕事が終わって戻ってきた。年配が聞く「どうだった」。「私にはアムステルダムと読めたけど」。
おしまい。

 師匠がこれをまくらでさらっと喋ると、場内、水を打ったようにしーんとしていました。

 字で書くと、まだ、わかりやすいですよね。

 4年ほどまえ、新宿三丁目に仕事で行く用事があって、近くの末広亭でよく時間をつぶした。10日単位で演目がかわるので、半端な31日には、違う趣向の番組をやるのだ、ということも、たまたま8月31日に覗いてみて知った。その時は、トリに、「雑俳」という大喜利のようなことをやっていた。
 普通の落語もやっていたが、がらがらの昼席で、さん喬師匠など、完全にやる気失ってる感じで、席亭のゴシップをあれこれ言ったり、客のうるさい子供をいじくったり、とか、脱力していてよかったですね。
 当方、その翌日から、5000万円パアか、という切った張ったに巻き込まれることになるのですが、その時はそんなこと露知らず、へらへらしていました。
 
 ただ思い出したから書いただけ。

 晩秋の寒さが見に沁みる。今夜は暖かいものでも食べて、早く寝てしまおう。