啓発舎

マジすか? マジすよ

書名 突破者
著者 宮崎学
出版社 幻冬舎

 久々に、本について。
 といっても、今回、実務上の必要から、京都についての記述を中心に拾い読みを始めたのだが、結局、上下二巻を一気読みしてしまった。巻を置くあたわざる面白さ。
 幻冬舎アウトロー文庫。奥付けをみると、上巻下巻とも、平成11年6月25日の第2版。このころから翌年にかけては、ちょうど、当方気分はアウトロー状態のピークだった。たしか、小川町の交差点あたりの本屋で買った記憶あり。
 淡路町の焼け残り一帯とか浅草とかによく出没していたころだ。

 しかし、凄い半生だね。

 松永耳庵が、人間一人前になるには、破産、投獄、離婚の3つを経験しないといけない、という趣旨のことを言ってたように記憶するが、この本を読むと、そうか、としみじみ納得します。

 内容については、まあ読んでくれ、としかいいようがないが、初めて読んだとき心打たれた個所に、今回再びはまったので、そこだけ引用する。

 著者が、グリコ・森永事件の犯人と疑われていたころ、友人、知人の相当数から「あいつが犯人だ」とチクられたことに関連して。

「悪党には突如としてまったく無私無償の行為に及ぶ侠の側面もあるが、普段は徹頭徹尾自己本位で目「先の利得や享楽のことしか考えないものなのだ。この種のチクりは欲得ずくのもので、病理の影などまるでない。人間は情けないほど欲深い生物であって、欲望を正直に顕わにする人間は、少なくとも生物としては健全なのだ。問題は、私の周辺には健全な人間が多すぎたことだけである。」

 およそ人間というものをまるごと受け容れることから生じる、やさしさ、おおらかさ。
 ここまで軽々と善悪を飛び越えてもいいのか、とは思うこともあるが、この人間の業の肯定の精神が一貫しています。
 元気でます。

 内容の濃さはただごとではない。
 ブラームスドボルザークのチェロ協奏曲だったか、なんだかを聞いて、「この曲一曲の材料があれば、私なら何曲でも書ける」と言った、という逸話がありますが、初めて読んだとき、これだけの素材があれば、それだけで、何冊でも、いけるんじゃないか、と思い、その後も、しばらくこの人を追いかけました。確かに、この本で一章を割いて言及している万年東一について、その後一冊の作品に仕上げたりしていますが、やはり、第一作のこの本の迫力は、他を断然圧倒しています。

 バルザック級。