啓発舎

マジすか? マジすよ

太田光の対談の本

このところ、当初の、読書とか音楽とかテーマを決めて、とりあえず、そのテーマについて頭の中にあるものを全部だそう、という意気込みが、日を追うに連れ、変質したようです。
 こないだヤフーのニュースで、ミクシイ疲れ、なんていうニュースがあった、例の、画面の右にあるやつで。
気持ち、わかる。
当方、京都方面で、ゼロが8つつくレベルの商談あり、たぶん流すことになるとは思うけれど、暑さと相俟って、今年の夏は、例年に増してきついです。自分で仕掛けた話だから、しようがないけれど。

さっき、駅ビルの本屋に涼みに行ったら、太田光と中○新一の対談の新書があって、立ち読みした、買わなかった。
 大田は自分の頭でものを考えるよね。自分で発想する。
 中○氏は、かつて当方が没頭したジャンルによく出没するので、どうしても視界にはいってしまうことがあり、なんだかんだで20年ぐらい、知っていることになるが、もう勘弁してほしい。最近は、この人の名前がでる記事の類は必ずとばすようにしているが。
 対談とかの相手も、「中○と平気で話す奴」として私の評価は下がる。
 大田よ、忠告する。対談するなら人を選べ。正月、NHKで鼎談していたが、その相手、村松なんとかさんも少しあやしいぞ。青山アナウンサーのほうが1000倍いいぞ、これは単に私が青山さんをお慕いしているからだけだが。
 細野晴臣氏なども、一時、中○先生とよくつるんでいたので、早い時期に見限ることができました。よかったよかった。一時、高野山とかで、はったってましたね、キーボードで単音をビービーやって。
 はっぴいえんどとか(渋谷のブラックホークでよくかかっていた)、荒井由美の初期三部作のころとかは、神がかっていましたが。コバルトアワーのベースは凄かった。
 話戻す。
 初期は、何冊か本も買った。チベット仏教の修行の本も買った。
 この人の特徴は、きちんと論旨を追っていくと、かならず途中で訳がわからなくなってくるということ。当方の理解力の貧しさは、ひとまず措く。
 バルトークとか、ジャコメッティとか、それ風の固有名詞をちりばめるのだが、一体、それであんたは、何がいいたいのか。ペダントリーとか、そういうこととも違うと思うが。
 宗教方面には、当方も多少なんというか、地肩があるつもり、というか、単なるディレッタントですが、誓って言うが、こいつのいうことは、目も当てられないぞ。全部その場その場の思いつきだぞ。
 ブログで他人をとやかく言ってはいけないようなので、これぐらいにしたいが、スタンスをかえる、というか、もともとないから、対立とか、反発とか、できないんですよ、この人。
 小学校のころ、「ぼくんちに象がいる」とかあどけないことを言って、小学生ってロジカルだから、周りから「証拠みせろよ」と言われると「今貸し出してる、動物園に」とか、言って、収拾つかなくなる子が、クラスに一人はいましたよね。
 彼は、それです。う○にう○を重ねて自分でも訳がわからなくなる。有難がってよむ人はどうぞご勝手に。

 今日は、思わぬ方向に発展してしまった。一気に書いたので、あとでトーン落とす修正いれるかもしれません。