書名 定家明月記私抄
著者 堀田善衛
出版社 新潮社
この地に来て2回目の夏になる。
連日34度35度が、もう30日以上か。東京より常に2〜3度高い。この2〜3度は大きいです。しかも、たまに、少しすずしい日があってほっとする、ということがない。連日きちんと35度。
まともにものを考えることができない。
定家流に言えば、「心神甚だ歓楽」(逆説の謂い)の毎日。今年の夏は、越せないのではないか。まともにものを考えることができない。判断力が減退している認識はあるから、なるべく、ぶれないように、昼間、脇をしめている。それが、結構堪える。
さっき東京の人と電話で話をしたら28度とのこと。いっそ、のぞみに飛び乗って東京に帰ってやろうか、と思うも、帰りの新幹線の、あの、重い気分を思うと、踏み切れない。
ぼやきです。
定家さんとつきあうには、こういう気分の時が、ぴったり。
昔の人にちょっかいだすときは、自分の状態を自覚して人を選ばないと、えらいことになることがある。
今日のような気分で、たとえばモーツアルトさんと遊ぼうとすると、ますます落ち込み、とんでもないことになる。
よく、音楽雑誌で、気分が優れないときモーツアルトを聞いて自分を励ます、てなことを言う人がいるが(結構多い)、世の中いろんな人がいるもんだ、と感心しますね。わたしゃ、たとえば、レクイエムでも、だめですね。
モーツアルトは、悲しい曲でも心身健やかなときに聴く音楽、私には。
話戻す。
定家さんとのおつきあいも長い。中学高校のころだ。私のルーツは、全部ここだ。
徒然草だの新古今だの、文庫でむさぼり読んでいた。
いまはどうだかしらないが、定家は、西行とペアで語られることがあって(これほど違う二人の組み合わせもないとおもうが)文字どおり「西行と定家」(講談社新書)なんていう当時読んだ本も、未だに当方の書架にある。
当時から、この人、評判悪く、その性狷介にして固陋とか、人工的な作風とか、ずいぶん悪口いわれていました、当時私が渉猟した限りでは。
だけど、どうも、妙に、この人は肌に合って、こういうことは理屈ではないと思うのですが、なんとなく気になる人だったわけです。
同時に、西行に対して、こいつ胡散臭いぞ、という思いも、これも理屈ではなく感じていた。
何故だろう。
露悪と偽善(どっちがどうかはいわない)ということか。あまりに図式的か。
もう、今日は脱線しまくりです。おそらく本題の堀田善衛さんまでいきつきません。
当方、ガキのころから、ひとをみるとき、どしても、露悪と偽善、という二分法を採用する癖がある。
もちろん、こどもの頃は、そんなこと意識してないけどね。
で、私の周りは露悪の人ばかりだ。
これは都会のガキの生理のレベルの話。
ところで、定家さんは、露悪のチャンピオン、ホームラン王です。
この本の中にもいろんなエピソードがあります。
自らの昇進(この人の日記は、猟官運動とか官位栄達にあがく記述が多い)のための祈願参篭で、主家の大葬にも不義理する。それを自分で「今日、九条殿に参ぜず。甚だ尋常の儀を忘る。殆ど人に非ざるの心か」とそれこそ露悪的に書き記し、それをまたウォッチャーの堀田さんが、「性、狷介というべきか、狭、あるいは狂というべきか」と、追い討ちをかける。
また。
家長ら、和歌所の同僚と御所に花見に出かけた折、定家は「南殿のスノコに坐して、和歌一首を講ず。狂女等、謬歌を擲げ入る。雑人多く見物す。講了りて連歌あり」と記す。
おなじいきさつを、家長は「気品ありげと思われる女房たちも多く花見にさまよい歩いていて、(中略)やがてあっちこっちから歌など持って来た(堀田氏の現代語訳)」とまるで趣の違う記述。
堀田氏は、これを、「謬歌」とは要するに和歌にもなにもなっていないものという意味であり、それは彼らのような専門歌人ではないから致し方ないにしても、いくらなんでも「狂女等」はひどいであろうと思う、とあきれ顔で判ずる。
この、定家自らが記した言動を著者堀田氏が、あるときは、あきれ、またあるときは感じ入って論評する、この間合い、というか、ほどのよさ。これが無類に面白い。
で、多くのエピソードで、私はなど、何故だか、定家さんの側に立ってしまう。
へそまがり。天邪鬼。偏屈・・・
とても他人とは思えませんよ。
「露悪と偽善」については、五木寛之さんとか、立松和平さんとか、武田鉄矢さんとか、あと誰だ、名前を挙げるのも畏れ多い偽善系のチャンピオンの方々にも登場願って、いずれじっくり、いいたい放題いってみたいとは思っています・・・やめよう、辟易。
今回は、定家と堀田善衛さんという、いずれも私がお慕いする(ホントに)ご両所がらみ。風呂敷を広げすぎるのは、よします。
堀田さんの、なんというか風通しのよさ。定家さんの、腹の据わったひねくれ方。
いずれも、生理的快感。
今日は、ここまで。暑いし。
京都の妖しさ、エグさ。
デカダンス、洗練爛熟の意味
およそ、美ということ。
後鳥羽の時代
風俗の普遍性
その他、この本から触発されること数限りなし。追ってまた。
今日は、えーと、「定家さんと露悪の愉しみ」ということで。
脈絡のないいいっぱなし勘弁してください。