きつい一週間だった。自分へのねぎらい・・・といっても、例によって、エビスの中瓶一本。
凍る一歩手前まで冷やす。グラスも冷やす。ただし、グラスは冷やしすぎると、注ぐとき細かな板状の氷ができていまうから、冷やしすぎないこと。
この、キンキンを喉に流し込むとき、生きててよかった、感に包まれる。
恵比寿のガーデンプレイスも大好きだし(全然関係ないか)、サッポロビールさん、贔屓客に、なんとかしてくれませんか。思い出した、新幹線のホームの売店からエビス消えませんでしたか、黒ラベルになってませんか、ゴールデンウィークの頃。ちょっと気になった。
で。
ビールを飲む話。
ビールといえば、昼間飲む。これぞ男の生きる道。
さすがに高校生のころは、昼間から外で酒を飲むことはあまりなかったが、大学に入ると、これが日常になった。
どこでもビールを飲んだ。昼間から。みんなそうか。
今思いついた昔のベストスリーを挙げる。また思いついて後で変わるかもしれないが。
順不同だ。
1.銀座ライオン
まあ、ここははずせないですね。
今、平日に行く機会はないが、週末は、なんだ、あの混雑は。入り口でマイク付けた親父が事務的に交通整理。こないだ意を決してはいってみたら、とば口、しかも相席を案内され、無言で出てきました。当方もひとりだったからしようがないのか。
その点、昔はよかったなあ。
昼間、ガランとして人気のあまりないホールで、枝豆だけをとって(金がない)、中ジョッキを前に、ぼーっと時間をつぶす至福。私以外にも一人の客が結構多かった。
言っとくが、ジョッキでビールを飲むのは、おいしい飲み方ではない。
ガラスは薄く、筒型のグラス、これを冷やして、一杯ずつ飲むのが一番うまい。
しかも、今は知らないが、昔は、セルロイドのものさしみたいなやつで、盛り上がる泡を払っていたではないか。泡が大事なのに。見逃してないぞ。
枝豆だって、たぶん冷凍だ、外側の皮と内側の皮がたいていはがれていた。
要は、ビアホールではあるが、ここで飲むビール自体は決してうまくない、つまみも。
でも、よくぼーっとしていました、ここで。前後の脈絡がなく、そこにいる必然性は今となってはよくわからないのですが。
丸いボンボリがぶら下がっていて、柱が、上のほうで、アーチみたいになっていて。モザイクがあって。閑散としていて。
なつかしいですね。
2.本郷法文一号館地下 銀杏
本郷に食堂は三箇所あって(今は知らない)講堂の地下が一番でかいのだが、ここには、絶対近寄らなかった、蛍光灯の光が味気なく、標本室のような殺風景さ。人が飯を食うところではない。あと、二食(第二食堂)というのが、医学部の方にあって、ここのタンメンはうまかった。晩に上野にコンサートを見に行くときよくここで時間をつぶした。週に一回ここでオーケストラのサークルの練習があった。部室も同じ建物にあるのだが、滅多にそこには足を踏み入れなかった。
今回挙げるのは三番目、法学部の地下、生協のとなりにある小さな薄暗い半地下の食堂。ここにはいりびたった。何故だかここで飲むビールがうまくて、授業はもちろん出ないのだが、無闇にビールを飲んだ、ここは、たいていだれかと一緒。あまりにすることがなくて、ここから上野動物園に行って、帰って、またビール飲んだこともあった。
教室のすぐそば、というかすぐ階下で、こうして飲めることが味をおいしくしていたのかもしれない。ここで飲むときは、少し後ろめたいような、でも、まあ、いいか、というような気持ちが、必ずあった。本郷は、基本的に勉強する奴しか来ないから、ただぼーっとしている、という手合いは、あまりいなかったなあ。居心地よかったです。
3.ピルゼン
交旬社(字、違うか)、こわしちゃいましたねえ。犯罪ですね。
キャベツの酢漬け。長い木のベンチ。まわりがうるさくて会話があまり聞えない、あの、構造。
トイレに行くのに迷路。天井に配管むきだしの細い通路をくねくね行く。
六大学野球のあと、ここで慶応がいばる。
当方の親父も、昔いばっていたそうだ。
まあ、そういうところです。
1993年から96年にかけて昼間新橋にいた時期があって、ここには何度来たか、仕事終わってから。晩は、不思議とライオンでなく、ここでしたね。で、その後、帝国ホテルの二階のバー。
このコースは出勤途中のお姐さんとよく出会う。
番外としてランチョン。
焼ける前ね。いまは、全然だめですね。
場所の記憶は、懐かしくもあるが、寂しくもある。
ライオンたのむぞ、壊すなよ。あと、一人の客を大事にしなさい。