◆巣鴨で1250メートル。50メートルはおまけ。
◆The Monthly MITSUBISHI の最新号が配られた。表紙をみると特集は「そば通」だと。
でパラパラみると例の講釈。
新そばがどうの、つゆがどうのとしゃらくさい。そばで能書き垂れるんじゃねー。
江戸の粋がどうしたこうした、だと。おいら深川生まれだが、そんな与太きいたことねえぞ。京都生まれと聞くと「ぶぶ漬け食ってけ」と言われたことあるか、と必ず聞くことにしているが、いまのところ一人もいない。そういうことだ。何が「粋」だ。野暮のこんこんちきじゃねえか。
というわけで、おいらがこの際そば屋を定義してやるからカツモクせよ。
そばやというのは、昼からゆるゆる飲むところ。それに尽きる。あじなんかどうでもいいの。
それができないところは全部だめ。
銀座のよしだ、学生のころよく行った本郷三丁目のそばや、老舗では室町砂場、ここは結構長居できる、だけど、いいか、ちゃんとあてを注文するんだぞ間合いをおいて、藪だと神田、ここは、別に鷹揚なわけではないが、広いからほっといてくれる、あとどこだ、本陣坊系もまあまあか。新橋に三軒まとまってあるが味喜庵がなぜだか、いい、ここで呑む十四代はうまい。
並木藪、三合庵、両国のなんとかいうところ、その他、店主店員がいばってるところは全部だめ。
よしだなんて、そばのびてるもん。姐ちゃんだってぞんざいだ。でも、いいんだ、平和に呑めるから。
運動のあとのビールはうまい。天下太平。