啓発舎

マジすか? マジすよ

谷岡ヤスジ

書名 ギャグトピア
著者 谷岡ヤスジ
出版社 白夜書房(だったと思う)

 天才谷岡ヤスジ画伯について、いまさら私があれこれ言えることはない。
 この人についてだけは、この小さな胸にしまって、私だけの思い出として大事にしておこうと思っていた。

 ところが。さっきテレビをぼーっとしながら見ていたら、NHK清水の次郎長をやっていた。中村雅俊清水の次郎長というよりも、清水の少年合唱団のようだったが。で、中村次郎長とその手下が、渡世人姿で松並木を足早に歩く姿が映し出された刹那、私の脳みそは、谷岡画伯の手になる1シーンを脳裡にえがいていたのだった。

 アサーで一世を風靡したのは、当方小学生の高学年のころだ。子供心に、すげーと思った。
 だけど、ほんとにこの人にはまったのは、どうだったか、高校生の頃以後ではないか。
 当時、画伯は、頼まれれば媒体を選ばなかったそうだから、いろんな雑誌に書いていたのだろうけれど、私は、別冊漫画アクション漫画サンデーをマークしていた。アクションが「ベロベーマン」で、漫サンが「アギャキャーマン」だったか、その逆か、まあ、タイトルなんかどうでもよろしい。間違いないのは、アクションのほうが、漫サンより2ページ多く、それが内容に微妙に影響していたこと。個人的には、長いほうが好きだった。画伯は、よく、「〜〜〜〜」などのセリフを伴う同じ映像でコマを惜しげも無く使う技を駆使しており、極端なはなし、「そん〜〜〜〜なにうまいか、ビールが」程度のセリフで、楽に2ページは使っていた。ストーリーとしておさまるには、一定のページ数が要ったように思う。

 まあいいか。

 衝撃を受けた作品は枚挙に暇が無い。

 何種類かアンソロジーが編まれているが、なかでは、このギャグトピアが一番出来がいい、と思う。選者の感性が当方と合い、あの傑作、というのがずいぶん選ばれている。
 いまさっき、段ボールをほうぼう探したのだが、見つからない。したがって、以下うろおぼえ。

 冒頭シンクロした、と述べた次郎長シリーズでは、次郎長が子分を従えて、中村雅俊次郎長のように颯爽と歩いていると、突如、ある部分がむずがゆくなってくる。で、子分に命ずる。「掻くのではない、つまむのだ」「塩を用意せよ」と、指示は的確だ。「いまだ!」で、子分が一斉に塩をふりかけ、うちわであおぎだす、次郎長、ドシーンと恍惚の表情。
 当方の文章力の貧しさか、はたまた、視覚的な表現を字にする難しさか、画伯の芸術性の百万分の一も伝わらない。もどかしい。

 しかし、なんといっても、いちばんは、タロ(牛)、タゴ(人)、アオ(馬)が登場する村(ソン と読む)シリーズだ。
 そういえば、マエストロ山下洋輔は、この牛のキャラを「にじり牛」と名づけ、こよなく愛していらっしゃった。「ピアノ弾き殴りこみ」だったか、タイトル忘れたが、フリージャズ欧州演奏旅行の股旅ものエッセイの一冊で、ヨーロッパを列車で移動していると、草原、牛という景色にであう。それを見ると、どうしてもヤスジ漫画の冒頭の村(ソンだ、くどいか)シーンが浮かぶ、というような記述があったように思う。おお、ここにも同好の士が。尊敬する先輩(高校の先輩だ、実際に)。士は士を見抜く。
 
 冒頭、村(ソンだ)の風景。小川のせせらぎ。メダカがチャピーン。のどかだ。畑仕事に精を出すタゴ。木陰ですずむタロ。と、タロが呼びかける「ターゴー」。ここからドラマが始まる。無限のバリエーション。一体なにが起こるのか、立ち読みする当方は、早くも、はらはらどきどきでした。

 筋を解説するのは面倒だが、シリツ(手術ではない)の話がある。男が急患で運び込まれた。執刀するのは、とんでもない医者二人組。切ってはいけないところを平気で切り刻み、シリツ中にカツどんくったりする。そこに田舎から出てきた患者の父登場。おめえらなにやってる、と険しい表情。医師A、Bは、その父親を「ままま」とキャバレーに誘い、そして・・・。
 なにが言いたいかと言うと、筒井康隆に「問題外科」というクレージードクターものがある(面白い。この一篇がはいっている「宇宙衛生博覧会」は、筒井の全盛期の傑作、ワーストコンタクトとか)のだが、その作品に、どうも、この谷岡作品の風合いが感じられるのだ、私には。気のせいかもしれないが。いつか筒井氏に会う機会があったら(ないだろうけど)率直に聞いてみたいと思う。ついでに、谷岡画伯をどう思うか、も。

 きりがない。
 昭和から平成にかけたあの時代、この天才をリアルタイムで追いかけることができた僥倖をいまさらながら思う。