啓発舎

マジすか? マジすよ

タイトル ライヴ/ジョニー・ウィンター・アンド Johny Winter And
演奏者 ジョニー・ウィンター・アンド


 今晩は。今夜は、よいこの皆さんを70年代初頭のよき時代にお連れいたします。
 
 実は、単に中学の頃の文化祭の話がしたかった。
 
 当時、学校には学生運動の余波はまだ続いており、教室には黒板の上に「紀元節粉砕」の文字がペンキの赤も鮮やかに書きなぐられ、文化祭中も、校庭の防護ネットには「革マル」の立て看。一種騒然とした空気があった。紛争以来、学校の中はアナーキー、その中で、解放区のような、自由というか放縦な雰囲気があり、生徒はみんな好き勝手やっていた。
 校庭にしつらえた屋外ステージでは、70年代初頭の気だるいロック、ブルースを、いきがった高校のお兄さんたちが、とろとろやっていた。
 ところで、わしらの学校の文化祭は結構人気があって、また地政学的には、女子高に完全に包囲されていたという条件も相俟って(どういう理屈だ)、近隣の女子高のねえちゃんは、8割ぐらい押しかけていたんじゃなかろうか。
 ざっと以下。カッコ内は略称です。
 女子学院(じょしがく)、東洋英和(えいわ)、女学館(やかた)、青山学院(あおがく)、聖心(せいしん これは、そのものか)等。

 女にもてたい。それにはバンドだ。というお定まりの動機で、当方中2のころにギターを始め(おやじにせがんで銀座山野で買った)、この頃には、天国への階段(ツェッペリンだ)ぐらいはなんとか弾きこなしていたように思う。
 で、中学3年の5月、ギターのO君、ドラムのM君と3人で、初めて文化祭にエントリーしたのだった。ロック喫茶だ。○○部という正規団体以外での有志のエントリーは、ほとんど高校生だったから中3でしたわれわれは珍しがられた。ちゃんと文実(文化祭実行委員会)から部屋ももらった。再生装置は六本木のダイナミックオーディオで借り、内装は、NET(いまのテレ朝だ)の大道具におねだりして、リヤカーでとりに行った。黒い、なんていうんだ、床に敷くプラスティックの板とか。
 客のリクエストに応じて、みんなからかき集めたLPをかけ、コーヒーだのコーラだのを売る(アルコールは次の年、高校になってからだ)。合間にDJをいれたり、ギターでミニライブをやったり、初参加にしては結構受けた。これが病みつきになり、高校卒業まで、毎年参加しつづけることになる、翌年からは、演奏オンリーだったが。

 今回ジョニーウィンターを選んだのは、当時のロック少年(オレもそうだ)が、やたらにコピーしまくって、その種のコンサートには、誰かしらやっていた、なんというか、時代に底流するBGMのような存在だったから。
 いま聞くと、ご本尊そのものも、文化祭レベルといっちゃあなんだが、手癖3種類ぐらいのもちネタを交互に繰り出し、延々とはったるお茶目なおじさんだったことがわかるが、当時は、しかし、百万ドルのギタリストとか言われていたんですね。ウッドストックにも出ていたな。
 ストーンズとか、ディープパープルとかツェッペリンとかをメジャーとすると、この人を始め、マウンテン、テンイヤーズアフター(ミシシッピクイーンとか、夜明けの無い朝とか、放課後良くやったなあ)などにはマイナー風味があり、しぶいというだけでの人気があった。
 なかでもこのおじさんには、どことなく、やさぐれた雰囲気があり、野太い声もカッコよかった。なにを隠そう小生、あの「中3トリオ(説明略)」と同学年で、当時のつぶらな瞳のぼくちゃんたちのアイドルは、モモエでありジュンコであったのだが、私のアイドルはこのおじさんだった。
 おじさんの周りには、ジョニーウィンター一家という集団がいて、代貸エドガーウィンター(弟ね)とか若頭リックデリンジャーなんていう若い衆が、一時はぶいぶい言わしてたもんよ。リックデリンジャー、懐かしいですね、ロックンロールフーチークー。チェリーサンバーストのストラトキャスターを銀の手袋で弾きこなす男。こんど、テレ東あたり、「あの人は今」企画で取り上げてくれませんか。

 このアルバムの It's My Own Fault なんか聞くと、あの時代の空気が一気に甦る。
 あの頃の麻布界隈の独特の空気、アナーキー、浮遊感、自由な空気、少しリッチな感じ。
 午後、学校さぼって麻布十番方面に降りていくと、そこらのマンションから、寝起きのお姐さんがゴミ捨てに出てくる素足の感じ。
 反体制という言葉がまだ現役で、なんとか粉砕とかの尻馬にのって、好き勝手やってたこと。バンドはその最たるもので、クリームだのなんだのを放課後大音量でやっていると、よく近所のおじさん(大学教授と名乗っていた)が文句をいいにきた。学校に言っても「はあそうですか」と埒があかないので直接談判にきた、と。確かに、学校は、妙なやり方で生徒を庇護していた、というよりほったらかしにしていた。
 今思うと明らかに当方が悪いのだが、当時はなんだかわからない理屈で応戦しました。それまで、ベイビー アイ ゴナ リブ ユー とかやっていたのが、急に「主体性」とか「権利」とか覚えたての熟語で切り返し、撃退したもんです。

 今夜は、ウィンターおじさんのジョニーBグッド(ベースのチューニングがぜんぜんあってないぞ)を聞きながら、70年代初頭、あらゆる事象に心震わせていた少年に戻ります。