啓発舎

マジすか? マジすよ

実は昨夜少しさざ波があって、ああいうネタものに回避した、といえなくもない。
一晩寝ればまあいいじゃん、というのが当方のセオリーなのだが、まあ、そういってもねえ。
二晩寝ればいいか。
空気をかえるか。

さっき立ち読みしたムックで特集していた山上たつひこさんの話でもしますか。


山上たつひこ、ニールヤング、キューブリック吉田健一、とならべると、当方の中学時代はほぼ騒乱、じゃない総覧できる。
というぐらいこの方は私に影響を及ぼした。
「君たち、大ぜいで弱いものいじめはよせよ」というセリフなんか、いまでもときどき実際につかう。

ピークはガキデカ寸前だったね。
少年誌連載であの凶暴なエネルギーが消耗するのをみているのは、いたましかった。

喜劇なんとか体系も半田溶助も面白かったが、それ以外の単発を集めた雑誌があって、これは宝だった。
当時、青年ギャグマンガの単行本はなかなか出なかったので、実際に入手困難だったのだ。
沖田総司のやつとか弁当やのはなしとか。あとイボグリくん、なんてのもあった。

一言でいうと破壊力です。
ストーリーとは無論関係なく、およそあらゆる「意味」を超越したナンセンス。

沖田総司のやつは、冒頭、沖田、とはまだ紹介されていない侍が、屋敷の庭を睥睨している。
と、池の鯉が水面を蹴って空中に跳躍。
総司、これにあわせ自分も跳躍。
鯉、再びはねる。
総司、凝ったフォームでこれに追随。
三たび鯉がとぶ。
さて。

成年誌だからどうしてもすけべが介在するのだが、この人のギャグの本質は、エロとかくすぐりとかええは全くなく、挙げて無意味さへの跳躍にある。

これはきついですよ持続させるのは。


ものを考えるというのは、なんらか意味がどうしてもつきまとう。
考え癖というのもでてくる。
これを断ち切って、意味を消し去って、なんかとてつもない事象を現出させる、というのは。

赤塚不二夫の晩年なんか、その虚無の穴にとらわれた七転八倒の求道者の殉教の過程以外のなにものでもない。

谷岡画伯は、だから、意図的にマンネリを仕組んで持ち堪えようとしたんだね。


と、ギャグ漫画を語ると当方の文章がむきになる、固くなるのはなぜか。



いま、だれか、いますか。