啓発舎

マジすか? マジすよ

書名 天人五衰
著者 三島由紀夫
出版社 新潮社

 三島とのつきあいも長い。小学校6年生以来だ。
 なぜ、小学校6年生か。例の事件があったからだ。1970年。

 集中的に読んだのは、中学のころだが、世の中にでたころは、もう書棚に一冊もなかった。
 この人については、そういう人、多いのではないだろうか。特に積極的に遠ざけると言うわけではないのだが、分別盛りになったら、ぜんぜん読まないな、と。

 結論を急ぐつもりはないが、世の中で一通りの辛酸をなめてから、この人の作品(なんでもいい)を読むと、子供のころの愚行を思い出したようで、なんだか気恥ずかしくなる。こんなものをよんでいたのか。

 今回読み直すことになったきっかけは、こうだ。
 今年の2月、縁あって、奈良は円照寺に伺うことができることになった。豊饒の海四部作にある月修寺のモデルだ。
 由緒ある門跡寺院、一般拝観はもとより行っていない。

 当方のアプローチは、後水尾さんつながりだった。この人については稿を改めたい。巨人です。
 こんなところにも、後水尾院の息がかかっている。初代門跡は、院のご息女にあたられる方。当初、いま修学院離宮のあるあたりにお住まいでいらっしゃたのが、離宮大造営で、奈良に引越しされた、というのが沿革ではなかったか。資料が手元にないので記憶頼りだが。

 で、折角だから、ということで、駅の本屋で、天人五衰を立ち読みしたのだった、新潮文庫で。本多が門跡に面会にこのお寺に行く最後の場面で、お寺の予備知識をいれたかった。

 三島を読むのは一体何年ぶりか。
 ほんとにびっくりした。こんな本だったのか。ある種の情熱に駆られ、駅前のごったがえす本屋で30分も粘ってしまった。
 47歳のおじさんにとても読める代物ではありません。
 芝居の書割のような情景描写。人間がまるでわかっていない心理分析。特に、本多のパートナーのおばさんなどについては、たとえば、どうだろう、明治座とか演舞場でやる、こしらえものの、リアリティーのない、ステロタイプな上流夫人像を芝居の台本からコピーしたような。
 それを、三島さんが、マリオネットのように操っている。世の中を、およそ人間というものを知らないこの人が。
 途中から、主人公の手記が始まるが、これは三島の独断場。要は、世間を知らず、観念で生きる、したがって、他人とコミニュケーションのとれない、距離を測れない、頭でっかちの若造。これ、三島の自画像ではないか。

 なんじゃこりゃ。

 この人の本質は、一流の批評家だ、と喝破したのは開高健だっただろうか。至言である。
 この怜悧で明晰な批評家の目は、おそらく容赦なく自作にも向かう。いつごろから、才能の限界、というか、もともと才能など無く、自作の全ては、畢竟、利発な小学生が歯の浮くようなレトリックをちりばめた作文に過ぎない、という覆うべくも無い事実と向き合えたか。案外早かったのではないだろうか。
 また、死、への意思が芽生えたのはいつごろか。相互に関連はなかったか。
 
 この人に、「詩を書く少年」という短編がある。
 初期の作品、しかも少年時代を回想する作品には、割合素直なものがあって、これとか、「煙草」とかは、私は好きです。
 凝った詩を書いていたおませな少年の学校時代。眞の詩人ではないと気づくまでにはまだ時間が要った。というような終わり方だった。
 
 小説家ではない、と気づくまでには、あとどのくらい時間がかかったのだろうか。

 無残である。

 立ち読みのインパクトがあまりに強かったので、後日、買ってしまった、古本市で。初版、箱入り、800円也。この安さもなんだか象徴的だ。カバーはなんだ、改めて20年ぶりぐらいに見ると、小学生のお絵かきか。三島夫人の作でした。だめおし。

 この作品の結末については、識者がいろいろ論じているのでしょう、寡聞にして存じ上げないが。
 愚考はこうだ。構想時はどうあれ、結末時点では、にせものとしての自分の生涯の告白として読むと初めて腑に落ちる。最後になってやっと仮面を脱いだと、読むと。


 秋の紅葉の季節に、正暦寺に行った帰りに、長い参道を門まで歩いたことはあったが、円照寺の中に入るのは、もちろん初めて。
 三島が饒舌に描写したように、品の良いお庭がありました。
 ガラスのケースに、お人形のコレクションがあり、ああ、尼寺なんだな、とほほえましかった。
 氷雨の一日。雨は、この閑雅なお寺に、しめやかに降り続いていました。
 おそらく、もうお邪魔することはないでしょう。