啓発舎

マジすか? マジすよ

百けん(門構えに月、以下ひゃっけん、とひらがなで記載)をまとめ読みしている。手許にあるのはいずれも旺文社文庫、1980年ぐらいから出始めたのを都度買っている。
カバーは、生協だったり書泉だったりまちまちだ。
当時も無類に面白かったが、いままとめ読みして新鮮なのは、受け取る当方の面白のつぼがかわったからだと気づいた。
散々言われているところだが、名著は、年とってから読むと異なる光芒を放つ、というのは真理だ。
借金の話も頭が痒い話も、話自体面白いのはかわりないが、今回気になったのは、ひゃっけんが、筆を止めるところ。
書かないですませる、ぼかす、ほのめかす、ということをこのおやじはよくする。
放り投げる、というか。
特に出たてのころ、百鬼園随筆とか無弦琴。戦前。
ところが、戦争が終わって阿呆列車あたりになると、それがなくなり、饒舌になる。並みの筆者だったらそれでもいいのだが。

山上たつひこ画伯にしても、ひゃっけんさんにしても、荒井由実にしても、はやくピークがきてしまった創作者は長い晩年を過ごす、ということか。



晩年に盛り上がる、というのはなかなかたいへんなようだ、という話。