籠城してライブストリーム三昧も、ひと月超えるか。
昼はしかたないが、せめて、晩は過ごしやすくなってくれませんかね。
おれんとこは床から天井まで窓だから、夕方まで厚いほうのカーテンしめて、わずかなすきまから採光してます。
で、19世紀後半から20世紀前半、第一次大戦まえぐらい、の爛熟を、これでもか、というぐらい浴びた。
リヒャルトが、鍵、だと思った。
シュトラウスのほう。
リヒャルトが新ウイーン楽派への橋渡し、というのが肌感覚でしみる。
こないだサントリーホールでベルクの七つの歌だかなんだかをハーディングがやって、清浄な室内楽として、ばっちり聴けた。よかった。
ベルクはシェーンベルクの弟子、ということになっているが、おれさまは、どうもこのひとは、シェーンベルクは、本質的な音楽のセンスが、どうか、という違和感がずyとあって、ベルクは、リヒャルトとならべたほうがしっくりくる。
ベルクの7つとリヒャルトの4つはならぶが、あいだにシェーンベルクの歌曲とかは、わたしはいれません。
リヒャルトの晩年は、カプリッチョにしても4つの歌にしても、もう、いろんなことがどうでもいいです、が横溢していておれは好きだ。
ただ、もういいよ飽きたよ、というかんじ。みなさんすきにやってください。という。
それがしみるのよ。
このあたりのオペラだの管弦楽だのをうろちょろするだけで、ひと夏はおろか、次の運動会イヤーぐらいまでもちそうだ。