N響第1877回 定期公演 Bプログラム
R.シュトラウス/交響詩「ドン・フアン」作品20
モーツァルト/ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466
R.シュトラウス/歌劇「ばらの騎士」組曲
ラヴェル/バレエ音楽「ラ・ヴァルス」
指揮:ダーヴィト・アフカム
ピアノ:小山実稚恵
今夜はビールビールでワインなし、だが、いい心持ちだ。
Vnにやっと初日がでた。
◆小山さんブラヴォ。
20番は、ピアノのレパートリーの中で、この世にこんな難しい曲があるか、という曲だと思う。
軽やかでなければいけない。端正でなければいけない。安らかでなくてはいけない。なおかつデデーモニッシュでなければいけない。
今夜の演奏には、それが全部ありました。
◆で、そのPコン2楽章。何度目かのテーマ、ピアノ独奏のメロディーをVnが引き継ぐところ。このあたりから1Vnのtuttiにふくよかさがでてきた。
◆後半はお祭りプログラム。
◆ばらの騎士で、セクションとしての1stVnに、豊饒な一体感がでてきた。
これをこの半年1年ずっと待っていたのだよ。
ばらの騎士のワルツも三重唱もマルシャリンのモノローグのところも、楽しかった。マロがうれしそうだった。
息子ヤルヴィが首席になりたてのころやったが、のりは比べ物にならない。
◆ラ・ヴァルス。
そのまま最終曲。
18世紀ウィーン黄昏の気品と20世紀初頭パリのどんちゃん騒ぎでは自ずから雰囲気は異なるが、お祭りであることには変わりない。
豪奢、きらびやか、な時空が現出すればいいので、今夜はそれが実現した。
ここで、コンサートを楽しむということについて。
演奏会評は、批評家が頭のなかでこねくりまわして小難しいことをいうが、コンサートで実際に聴く、その場にいるということは、そんなことぜんぜん関係なくて、ただ五感で感じるかどうかということです。
脳みその情報処理も、そりゃあるだろうが、第一義は、体が、特に循環系が、盛り上がるかどうか、ということだ。
どんなに理屈こねても、それがないとだめ。
で、それは、まず、やってる人々、奏者が盛り上がらないとだめよ。
指揮者がどんなにじたばたしても。
それは、必ず客席に伝染する。
感染爆発の事態を惹起できるかどうかが指揮者の腕前だ。
今夜の若いのには、それがあった。
いまのN響は、景気づけにこういう威勢の良い若い衆をどんどんぶちこんで、盛り上げたほうがいい。
恒例。今夜のMVPを発表します。
断然タンバリンのおねえちゃんだ。
ラ・ヴァルスの盛り上がりは、指揮者よりも復活した1stVnセクションでもなく、ほぼこの人のパフォーマンスによる。とおれは言い切る。