啓発舎

マジすか? マジすよ

N響

 

今夜はすごかったです。

 

◆三楽章にとどめをさす。

 みやび。雅。

 歌うルイージ

 

◆二楽章のホルンは、ほとんど事故だ。

 そのあとも、きな臭く、火薬庫状態だった。

 見慣れない顔だが、トラか。

 なにか事情があったのか。

 

 この件、体力あれば、あとでまた。

 

木管、絶好調。

 クラ、バスクラオーボエ

 ファゴットが、おいしいところが少しおとなしめに感じられたのは、他が気合150%だったからか。

 青山さん、この吹けてうれしくてたまらない、という風情。

 

◆で、ホルンのはなし。

 

 二楽章でそういうことがあったので、聞く側のこっちに喝がはいった、というか、一段、耳をそばだてる、というか、はらはらどきどき、というか、緊張感が、いやました。

 今夜のMVPは、だから、セロニアス文句なく、ホルンの、働かないおじさん風にきまり。

 

 話、とぶ。

 チャイコといえば、おれは、芸大文化祭の悲愴だ。三楽章。

 このブログにも、二回ぐり、書いたから繰り返さない。

 

 チャイコの本質には、なんというか、ドシャめしゃ感というか、混沌というか、カオスというか、そういうものが、顔を出すことがあって、そのまがまがしいというか、笑ってしまう、というか、それが、チャイコをチャイコたらしめる、というか、おれは、そういうところがある、チャイコについては。

 

 今夜は、図らずも、MVPホルンプレイヤーのおかげで、それが体感できた。

 

 すかしっぺのような二楽章ホルンソロのおかげで。

 

 カタストロフかカタルシスか。

 ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンか。

 

◆終楽章は、おれは、どうしても、どんな演奏でも、引いてしまう、客観的になってしまう、盛り上がりを他人事のようにながめてしまう自分がいる。

 そういう奴、おれのほかにも、結構いるんじゃないか。

 あんまりだよチャイコさん。と。

 

 で、今夜も、それはそうであったが、ホルンのおかげさまの緊張感が、少しゆるんでしまったところがあったが、2Vn大林さん、あの、平素は、最後の大和撫子のような、大林さんが、おぼえず繚乱、のお姿に感動しないわけにはいかない。

 

 

 で、かんじんのルイージだが、三楽章の後ろ姿は、エレガントだった。

 

終楽章は、ちょっと、やりすぎじゃないですかルイージさん、というか、インスタ映えねらい、というか、を感じたのは、おれの終楽章にのれない性によるバイアスか。

 

まあ、常任きまってこういうお祭りの曲で初日を狙いにきた、ということもあるだろうから、いいか。

 

あとコンチェルト。パガニーニ

イタリアの女流。

 

 これは、拾い物でした。

 

 みかけが、女流というより、女優、みたいな、はやりのヴィジュアル系みたいな、外観で、いつものか、と予断をもってしまったのだが。

 

 それが、聞くとみるとは大違い。

 マッチョ。

 なんか、ジミヘンみたい。

 ぎゅるぎゅる、とか、びゅいーん、みたいな、スラーであったり、グリッサンドであったり。

 フランスパンに、バターナイフで、こう、バターをぬりまくる、かんじ。

 あと低いほうの弦のドッペルの、箱がなっているような、かわいた、木質の響き。

 おれ、G線の、箱っぽい、柔らかな音色フェチなんです。

 

 終楽章、よかったすよ。

 

 ちょっというと、おれはパガニーニの技巧は、全然だめ。

 なんか、蚊にさされる、みたいな、かんじがある。

 リストも、非常ベルみたいな。

 

 それはおれの感性なので、他人にとやかく言う筋合いではないが。

 あくまで、おれは、だが。

 

 今夜のパガニーニは、技巧の、ギミックの品評会というより、むしろ高音部のオクターブのフラジオで、一部はらはらどきどきがあり、技巧でどうこう、という、こしらえでは、今夜はたぶんなかったと思うが、あるいは、それであるからこそ、だろうか、音楽として、愉悦を味わえた。

 これは、この女優さんみたいな、イタリアの姐さんの、美質である。

 

 デコだか、デゴだがいう人。

 知らなかった。

 

 ルイージとの相性もいいのでは。時々ずれてたけど。

 

 

 で、今夜のほんとのMVPは、クラ。

 

 ルイージのスタンディングオヴェーションには、おれも参加したとさ、めずらしく。

 

 現場からは以上です。