外からの刺戟と、裡からの想念の浮上とで私の世界は形成される。
1.外から
①時空からの信号
②ヒト関連
これはさらに。
ヒトからダイレクト
と
ネット、その他、媒体からの情報
にわけられる。
2.内側から
これは、記憶、に尽きる。
ところで、1.の外界からの刺戟は、平素、注意を怠らない不断の習慣で、かなり、抑えることに成功した。
今日なんか、雨降りの午後は、静謐そのもの。
そうなると、2.の出番。
想念の噴出、ということでもないのだろうけど、こう静かだと、内側からいたづらする、ことどもが、かまびすしい、ということもないのだろうけれど、要すれば、記憶の断片が、おもちゃ箱ひっくりかえした、みたいになる。
想念は不断に噴出するから、なにも、今日が、ことさら、あれやらこれやらが特に活発にでてくる、ということでも、おそらくない。
静かだから、かそけき響きも、冴えわたる、ということ。
ということで。
この、記憶をどうするよ、というのは、これからやっていくうえで、なかなかのことだ。
グーグルニュースは、個別にばってんをつけることで、余計な情報を食い止めてくれて重宝する。
それと同様なことが、記憶でも。
ということを、このところ、ぼんやり思う。
かつての9時5時関連が多いですね。
くだらねえのよ。ひたすら。
うっちゃるのだが、その間N秒は、浮遊する。
外のどーでもいいは、実は、かなり事前に排除できている。
内側は、勝手に、任意に湧き上がるので、これをなるべく初期にバイパスに流すなりなんなりする、ということを、実は、やっている、ようだ、ということが、わかってきた。
なんにせよ、外側が静謐、というのは、めでたいことだ。