この夏一番、と。
怖いもの見たさで外に出たら、ほんとに一番だった。
記憶のこと
◆外部からの刺戟と内部の励起
◆記憶にまつわる励起
外部というのは、暑いぜ、とか、PC、BSとか外部情報とか、いらっしゃいませ、とか、そういうこと。
内部。これは、不断に泡のように、サイダーみたいに、湧き上がる、想念だのなんだの。
これは、外とか、と、裡なる、の違いは、あれど、インプットとしては等価だ。
AUXかUSBか、というぐらい。
外部は、散々書いたから略。
内部。
記憶についても、ちらほらしているが。
今日は。
記憶にまつわる勘定の励起について
どぎつい記憶については措く。
些細なこと。
わりと、浮き立つような記憶もあればそうでないのもある。
このうち、まあまあ、だな、ということについて。
まあまあだから、いいかんじで意識に上がればいいのだが。
ヒトにまつわるものであると、なんか、少し、重い、というのは言葉が強い、やれやれ、というのは時間の幅が大きすぎ、もっと瞬間的な、それこそ、ぼーっとして歩いていたら、角でヒトに出くわしたみたいな、とっさに構える、ってんでしょうか、そういうかんじがある。
良い記憶でも。
これが肝心。
誰それとゴムとびして楽しかった、みたいのでも。
それが最近の気づきです。
こうなると、もう。
そのぐらい、なんか、針が落ちる音も、がびーんと響く、ぐらい。
線香の灰とかの、紋切り型の例えも浮かんでしまうような。
すでにヒトに対して、どうこう、たとえば、あっちに行けよ、とか、うっとおしい、とか、そういうレベルの励起でないことは、自明だ。
それは、とっくに卒業。
ゾウリムシにいちいち反応しない。
もっと、なんだろう、ただ単に、余計、というだけのこと。
のようだ。
体感なんで、言葉にするのは慎重でありたいが。
ちょっと、わくわく、とか、ふわふわ、というかんじ。
この夏は、この熱さは、わりといいかんじ。