◆コロンボのセレブな犯人のご自宅拝見するたびに、三島由紀夫んちを週刊誌のグラビアで見たときのかんじが蘇る、わけないが、好一対ではあるよな。
悪趣味とすらいえない。悪趣味には、まだ、「趣味」が悪い、という、趣味の物差しではかれる尺度がある。
ゴミ屋敷を悪趣味といえるか。
趣味など、はなから存在しない。
ミシマは、楽しいな、一粒で何度でもおいしい。
◆映画でみて、感心したのは、ブライズヘッドテレビ版の屋敷内装。
◆サイコ。
最後の医者の長口舌は、冗長。まるごとカットでよし。
取り押さえシーンの次に、すぐ取調室の犯人バストショット、説明抜き、のほうが1000倍インパクトあり。観客はみんなわかってるんだから。
◆そういえば、2001年の最後のほうで説明のナレーションをいれるかでアーサーCクラークとキューブリックがおしあいへしあいした、と、こないだNHKBSで言っていたが、これはキューブリックの判断が正しい。
最初に見たとき、例の光のゲートまではなんとかついていけたが、そのあとは、なんだかわけがわからないまま終わって、茫然とテアトル東京を後にしたおぼえあり。
この、理屈抜きにたたみかける映像の連打が気持ちよいので、映画は筋でみるものではない。
昔テレビで何度も何度やった北北西のずたずたぶりは凄かった。
ノーカットでも複雑な筋立てなのに、テレビの尺でこれをたぶん三分の二ぐらに切り刻んでいたのではないか。
たしか、畑で農薬浴びて散々な思いしたケーリーグラントが、すぐ次のシーンでオークション会場に座っていた。
これでいいのだ。
このところ、ついつい、今アタマのなかにあることをそのまま吐き出してしまいそうになるというか、いったん書いてしまって、読み返して削除する、ということが、ままある。
バックアップはとっている。
それをまとめ読みすると、なんだか、「記憶」が、目下主宰のブーム、のようですぜ。