プロとアマの差。
差が大きい代表選手は楽器。
電気を通さないやつ。
演奏家は、それを演奏する奴と、ただ聞くヒトとで、贔屓が違う。と思う。そういう傾向がある。
チェロといえばレコ芸で人気投票やると、たいていロストロ、ヨーヨーマだ。聞き専は。
だが、チェロ弾きが集まって誰が好きかとやると、まずあがるのはフルニエです。いまだに。
なぜか、ヨーヨーマとかロストロは、あまりでない。
おれもフルニエさんは大好きだ。
気持ちいいんだよね。
音程なんか、ときどきずれる。
録音だから昔でもいくらでも補正はきくと思うのだが、流れが大事だから、これでいいのだ。
いまの演奏家の、ライブでも機械のように正確な演奏は、当時は望むべくもなかった。
カザルスも結構あやしい。
カザルスは、あの、弾く側の都合としか思えない、C線を妙に長くひっぱるくせとか、おれは、はっきり好きではないのだが、それは弾き方の問題。
フルニエもカザルスも、聞いていて自分の技術の修練のはるか先に到達しうるかもしれない、実際はもちろんそんなことないのだが、という、そういう親しみがあった。
今の演奏家は、もう全然です。
異星人みたい。
良い意味。
室内楽なんかすごいぞ。
こないだBSの深夜番組で若手がタコのクアルテットをやってたが、すごかった。
プロとアマの乖離は広がる一方だ。
以上、前置き。
眼目は、もちろんプロとアマの差が少ない、あるいははっきりしない領域について。
きのう書いたことの続き。
俳句なんかその典型じゃないだろうか。
結社とか派閥とか、センセイとか、そういう人間関係由来のヒエラルキーで、感受性とか、そういう一番大事なことがどっかいってんじゃないの。
すいません、業界に疎くて、いまのはあてずっぽうだが。当たらずとも遠からずだろう。
他、もの書く関連は、全部、プロアマの境界はあいまいだ。
金とればプロ、という定義はあるだろうが、一本1000円のネットの書き手をプロといえるか。
本が売れないというが、この言いぶりは正しくない。
本が売れないのでなく、クズが売れないのだ。
それだけのこと。