啓発舎

マジすか? マジすよ

岩波『図書』12月号届く。

さだまさしが連載終了、と。

最終回に無粋なことは言いたくないが。

「目が点」がさだのギタリストがいい始めてひろまった、は真っ赤なウソ、あるいは、間違った認識。

どおくまんの漫画をみて、「目が点」といいだした、というが、これで、自ら、ウソ、あるいは、ほぼ意図的な錯誤、を自ら露呈している。

点目は、ヤスジですよ。

谷岡画伯が70年代の半ばには、開発し、青年誌で毎週のように採用していた技だ。

タゴだのタロだのアオだのはなっぺだのが、来るべきカタストロフの予兆に思考停止する、すさまじい緊張感を、ヒトコマで過不足なく表現していた、天才ヤスジが。

おれらは高校で授業そっちのけで、その芸術的な意義について語り合っていたのだった。

どおくまんは、はるか後年、これをパクったに過ぎない。

点目というのは、たとえば、山下洋輔先生も、たしか、ヤマハのライトミュージックだったと思う、の連載で、書いていたように思う。

バンドマンとかおれらのようなやさぐれ者のあいだでは、日常会話でしたよ。

漫サンと、別冊漫画アクション(これは略称なかった)を読んでないと、おフランス文学のはなしもできない、そういう緊張感があったのですおいらの日常には。

おフランス文学、とか、哲学、とかを語るのに、ヤスジとか、「目が点」は必須でしたから。

 

そんなとこ。

茶店なので、これが限度。